2011年8月8日月曜日

『西洋古代史論集ⅠⅡ』財団法人古代学協議会編

ブログの本棚『西洋古代史論集ⅠⅡ』財団法人古代学協議会編

「民主主義」democraticの語源はギリシャ語であった。
神話と政治について、ギリシャ人の民主政観、そして発掘におけるさまざまな注意点について書かれているのが興味深い本である。
アリストテレスの政治観は、全ギリシャ人を代表したものではなく、たまたま有産階級であった彼の一意見が後世に残っているに過ぎない。

当時のギリシャ人の民主政観には、おおまかに3つあったという。アリストテレスらが唱える寡頭主義。有産階級が主権の(この本によるとソヴィエト的民主主義?)demotic
それから、democraticの語源であるデーモスを基にした、市民全体が主権の国制の「多数決方式」政治と、貧困市民が主権の国制(この本によるとプロレタリアート独裁、マルクス主義理論に近い?)の政治の2つ。
著者らによると、実際のところ普通の貧しいギリシャ人は、自分たちの選んだ上層階級の人々によってほどよく国が運営されていれば満足していたという。ただし、選ばれた責任をきちんと負わなければ、あっさりと独裁者を受け入れたのだと述べている。

うっかりすると我々は、古代の超有名人の一意見、たった一つの埋葬品などで、その時代の全てを判断してしまう。また、現代の価値観に当てはめて評価しがちである。

古代史の研究にかぎらず、外国文化の研究、生物の進化、生物の生態についての研究では、現代日本の文化や風習のバイアスが邪魔になる。

古代の法律や文化を調査する人も、現代の政治や科学を語るときも、あらゆるバイアスを捨てる努力をすべきである。

それは文化や風習を捨てることではない。現代日本の文化や風習の理解を深め、現代人の現在や未来の生活をより暮しやすくするためであることを忘れてはならない。


『西洋古代史論集Ⅰ』はまず、フランスにおける旧石器時代の再検討の論文から始まっている。昔発見された化石は、新発見にあわせて、何度か調査され直しているのだ。
1883年、フランスパリ市郊外にて、当時フランス最古の人間の居住地が発掘され、貝に似た石器によりシェル文化と名づけられた。やがて1958年にヨーロッパ最古(7080万年前第一氷期ギュンツ頃)の石器時代の化石が洞窟で発見。
1939年にどうも、シェル文化のほうは、古い地層の上に新しい地層が堆積してできたらしいという説。つまり新しい地層のどこからか石器が流れてきたのではないかという説が浮上し、論文の著者がシェル文化の正当性を再評価しているものであった。

地質だけではなく、石器と共に発見される犀や象、カモシカ牛や馬の化石を元に時代を特定し、その地域の隆起や沈降を考慮し、更に火災や地震など、さまざまな要因をかんがえるべきであるという。

発掘における注意点、出土品にとらわれすぎないであるとか、かならずA民族がB民族を滅ぼして文化がすっかりいれかわるという思い込みを捨てるべきであるとか、参考になる話が多かった。
たとえ話が面白い。エジプトで、アメリカ製のガソリン缶を何かに再利用し、スウェーデン製のストーブを使用していたとして、後世、エジプトにアメリカ人が移住した、ラテン語を使用している人々が移住したといっているようなものだ、という。
恐竜は鳥類やホ乳類と共存し、現生人類はネアンデルタール人と共存している。また、始祖鳥やカモノハシのような中間生物も存在する。古代人も、文化の入り混じった中間型が途切れなく存在するかもしれないし、輸入品を愛用しているかもしれないと、いろいろな可能性を考えるべきだという。

『西洋古代史論集Ⅱ』のミケーネ文書にも、ギリシャのミケーネ時代に人名がギリシャ語で出てきたからといってギリシャ語を理解するギリシャ人かどうかわからないといった書かれ方をしている。
例えば、古代大和朝廷には、倭の国の言葉や風習を理解していたかどうかは分からないが、日本風の名前で記される帰化人がたくさん、最新の文化を大陸から持ち込んで活躍していたはずである。その当時、中国には、中国風のニックネームに改められた、インドやペルシャ、西洋人が多数いたはずである。

ヨーロッパの他の書物から知る 古代ローマや古代ギリシャの記述は、当時のヨーロッパの文化や価値観の影響を受けており、間違った解釈も残っている可能性がある。
アテナイ人やスパルタ人は征服した国の自由人男子を虐殺したり、ときには商人や中立のものも殺すこともあったという。周辺国には、騎馬民族もいれば、男女混合の兵士が戦う国もあったときいている。
当時の周辺の歴史を知らず、古代ローマ人などの記述だけを手がかりにしていると、他のギリシャ諸国に比べアテナイ人だけが残忍に思えたり、男性の殺された女性ばかりの国があるという記述を、後世風にゆがめて受けとったり、おもしろおかしい解釈が生じる。
例えば、ギリシャのパンを作る小立像に、後世のヨーロッパ人は、胸の平らな女性である、家事をしている女性の像であると注釈をつけたが、実際は、当時のパン職人は男性の仕事であり男性の像であったという。

ギリシャ語の文献で職業名を見ると、当時の文化がみえてくる。
羊飼いや山羊飼いは一般住民の職業だが、牛追いは賎民の仕事であったり、大工にも石大工、木大工、船大工とわかれ、青銅細工や刃物細工は一般住民であり、その火をおこすのは賎民である。
布の製作、羊の毛刈り、糸紡ぎ、機織り、皮革職人は女性だが、衣装を縫うのは男女の仕事であったなど、時代により、職業の貴賤や男女の役割分担が異なっていることが分かる。
日本の古代の職業から、当時の文化を読み取るとき、江戸時代や明治大正、昭和の価値観をいれないように、気をつけるべきであろう。


邪馬台国はどこか、日本の恐竜の化石発掘ブームの現代。
映画やアニメで興味を触発された世代にも言える。

『図解ギリシャ神話』西東社

ブログの本棚『図解ギリシャ神話』西東社

ギリシャ神話について、漫画にいたるまで参考図書が豊富に掲載されている。
日本人が「ギリシャ神話」といったとき思い浮かべる、地理や歴史、星座や占い、さまざまな断片で入ってきている情報を、きちんと整理整頓してくれる本である。

ギリシャ周辺の原始信仰、自然の人格化(日本で言う八百万の神々)から始まり、アジアの宇宙論もとりいれられ、口述で伝えられて来た。
紀元前20世紀ごろからクレタ文明(ミノア文明)、紀元前15世紀からミュケナイ文明(ミケーネ文明)が栄え、その後、紀元前8世紀ごろにホロメス(盲人の意)ら詩人により文学にまとめられた。

ギリシャ神話というのは、ギリシャ周辺の無数の伝承がこのホロメスらの脚色に加え、古代ローマ人がローマ神話の材料に利用し、さらにキリスト教徒がキリスト教的解釈を加え、女神崇拝の女神を、妖精や魔女、売春婦へと意図的に変化して、日本に伝わっている。
その、伝言ゲームのような、意味が少しずつ変わってきている要素を取り除いていくと、天の岩戸神話と収穫の女神デルメルと娘ペルセポネの伝説、ヘラクレスらが魔物退治にでかけるなど、日本書紀や仏教にでてくる説話に似た、アジア的な話が多く見受けられる。
また、洪水伝説は、旧約聖書、インドの「マツヤ神話」、バビロニアやシュメールの伝説に共通する。
当時のギリシャ人の服装は、布を腰に巻いて肩や頭にたらし、サンダルを履き、ペルシャの壁画やインドの民族衣装に近い。近隣の靴をはいた民族、ターバンや帽子をかぶった民族、うろこ状のよろい(スパンコール)を着た民族、ケンタウロスを彷彿とさせる騎馬民族とは風習が異なっている。そのままの格好で、つまり日本の戦国時代のような鎧兜ではなく、江戸時代の武士のような軽装で近隣と戦っていた節がある。

海や山に住む刺しても刺しても死なない不死身の怪物、化け物の多くは、戦闘時にうろこ状の甲冑を着ており、全身がうろこ状に覆われ蛇のような伸び放題の髪型のメドーゥサのように、「彼らは刺しても死なない不死身」と聞いていたが、実際に捕まえて刺したら死んだので、彼女だけ不死身ではなかったのだろうなどという伝承が残っている。

近隣諸国の紛争、揉め事を解決しに行く怪物退治の一方で、攻めた国を皆殺しにすることも無く、周辺の国の文化を取り入れてきている。ディオニュソスという庶民の神、酒の神は民間信仰の対象として貧民や女性に信仰され、王のように扱われ、各地に果樹の栽培法とワインの作り方を教えて回ったとされている。ティーバイの王がこの新興宗教?のディオニュソス(バッコス)を殺そうと信者を装って祭りに潜入したが、女装がばれて女性信者らに殺されたなどという伝説も残されている(紀元前6世紀エウリピデス著)。

天地創造の神話の後、実際にティタン族という偉大な人物達が国を治めていたが、彼らがオリュンポスの政治グループにアテネから追い出された様子が書かれている。例えば、ティタン人の1人アトラスは、地中海世界の安全を支えるため、うまく言いくるめられて地中海の交通の西の要所、アフリカの西北を収めるために派遣され、そのまま都のアテネに戻れない様にされている。海賊が地中海に侵入しないよう、生涯、警備していたようだ。後にジブラルタル海峡に、モニュメントを立てるため、視察に訪れたヘラクレスに、警備を代わってくれと頼んだが、あまりの大変さに役割を再び担わされたことになっている。
トロイヤを掘ったシュリーマンではないが、もともとは脚色されるまでは、かなり実話に近い物語であったことが伺える。

紀元前8世紀のギリシャの詩人ホメロスは、軍記物であるトロイヤ戦争の話が中心であり、シュリーマンが彼の作品「イリアス」「オデュッセイア」により、探究心を掻き立てられ、遺跡を発掘したことで有名である。
同時代の詩人ヘシオドスは、日本書紀のような神話「神統記」を記し、彼の作品により、ギリシャは天地創造を語った原始の神々の話のほか、5つの時代について記している。

天地創造は旧約聖書に似たところがあり、カオス(空虚、無、空)から夜と闇、昼と光が生じ、ガイア(大地、生きている地球)とウラノス(天空)から多くの神々がうまれている。5つの時代は、ガイアから生まれたクロノスら男神、女神(ティタン神族)の活躍する「黄金の時代」。ゼウスなどオリンポスの神々が活躍する「銀の時代」。まるで“ノアの箱舟伝説”のような大洪水で滅びる「青銅の時代」。そして「英雄の時代」、現代に続く「鉄の時代」となる。

やがて、紀元前6世紀に、イギリスのシェイクスピアのような舞台劇ブームがギリシャに訪れ(実際、シェイクスピアも神話を題材にした物語を書いている)、騎士階級や地主階級、神職の家に生まれた悲劇詩人達が、ペルシャ戦争を元にした話や、テーバイのオイディプス王とその娘らの話を、劇にして上演していた。

紀元前4世紀にはこれらギリシャ神話は、ギリシャをやぶったマケドニアのアレクサンドロス(アレキサンダー)によって世界中に広められた。このときの世界というのは、ギリシャだけではなく、アフリカ大陸のエジプトからペルシャ、東はインドのパンジャブ地方まで伝わったという。
つまり、仏陀の生まれた頃のインドに、すでにギリシャ神話が伝わっていたということであり、そのギリシャ神話は、アレキサンダーの遠征の何百年も前に、アジアの宇宙観も取り込まれていたアジア的な民族神話であったということである。東西の文化交流は、思ったよりも古くから何度も行き来していたと思われる。

その後、ローマ時代にギリシャの民主政や哲学などの文化が、神話と共に輸入され、ローマ帝国の拡大と共に世界に再び広まって行った。この、ローマ神話では、更に娯楽性のあるストーリーへと脚色されている。
人間を、皇帝を神格化し、神は人間の姿をしているのが当然という、価値観を持つローマ人にとって、多神教によくある“自然の神格化”や“動物の姿をする神”というのは理解しがたく、逆に「御伽噺」のようなものであったことだろう。人間を神様が動物に変えてしまうという、変身物が、この頃のローマで流行る。
また、ローマ周辺諸国の伝承を集め、ギリシャ神話のストーリーに置き換えることが始まったが、同じ太陽の神、美の女神などといっても、ギリシャとローマではキャラクターが異なっていた。それも、ストーリーを変える事でつじつまを合わせていたという。
そのヘレニズム文化は、14世紀以降のヨーロッパで、ルネッサンス運動として復興を遂げた。

私たちがよく耳にするギリシャ・ローマ神話は、子どもの本棚に並べられるようなファンタジー、星座の名前で星占いに登場するようになってしまっている。しかし一方で、ラテン語を学んだヨーロッパの学者は、ギリシャやローマのことわざや出来事を、日本人が漢文のことわざを引用するかのように、盛んに用いてきた。
西洋の哲学者や精神医学博士が、研究内容を当時普遍的な、神話の登場人物や出来事にたとえるなどし、その用語と用法は現代の思想にまだまだ影響を与えている。

マイケル・マクローン著の「ギリシャ・ローマ神話」では、ラテン語からどのように英語に取り入れられ、意味が変わってきているか解説されている。
もともと、農耕の神が商売の神となり、まるで七福神の恵比寿、大黒神のように民間で敬われ、新しいストーリーが付け加えられてきている。
本来は何も無い深い穴、空虚の意(インド仏教の空か?)が、キリスト教やトーマス・ホッグズの「リヴァイアサン」などの影響にて、混沌やアナーキーといった別の意味が加わり、本来の使われ方をしないまま英語圏で一人歩きしている。オリンピックにいたっては、オリンピアの神々のゲーム、荘厳な超然とした競技会というニュアンスから、「オリンピック」という世界大会を意味する固有名詞の競技大会のように使用されている。

ちなみに、この『図解ギリシャ神話』では、ゲーム機のサターンの由来や、聖闘士星矢の漫画もギリシャ神話の関連図書として紹介されている。