TPP。
海外でもまれた企業が自由に日本で活動するということ。
離島の固有種が外来種と出会ったときに生じること。
オーストラリアの有袋類が、ヤンバルクイナが、イリオモテヤマネコが、
有能なハンターであるイヌやネコと出会うということ、競争するということ。
侵入が緩やかであれば、敵からの身のかわし方や新たな適応へと固有種が進化し、共存できる。
しかし、急激に競争に巻き込まれたとき、敗れるのは固有種の方である。
日本だけでも南北で広く、北海道は広い大規模農業の強みがあるが、サトウキビは作れない。
沖縄は北海道と同じジャガイモや米も作れた上、サトウキビも作ることが出来る。
農業は温暖な地域の方が有利であり、大規模農業のほうが有利であるが、
地域の特性があるために両方を兼ね備えることは出来ない。
日本国内で、すべての産業を分業で上手く回せない物を、
県内だけで、すべての産業を地域ごとに分業できないものを、
世界レベルで調整無しに果たして可能であろうか。
どんなすばらしいシステムも、急激な導入は、ダメージが大きい。
自由化を念頭に大規模化した農業が、すでに輸入に押されて弱っている。
日本の産業という在来固有種を、「とき」のように過去の物にしてはいけない。
アジアの企業が日本の企業にとってかわり、外資系の企業に勤めることになるのか。
国際化は、喜ばしいことだと思っている。
様々な国籍の人が共に働く社会の方が、健全である。
国際化というのは、メートル法を共有するように、同じ物差しで取引し、契約していくことであるなら、
まだまだ日本には海外共通のルールで勝負するための努力が、
改革が、町工場レベルから、小さな商店レベルから、必要であろう。
IT化は用紙の無駄を省き、国際化のためであったが、道具にまだフリマさわれている。
まず、日本がすべきは、不必要に大きな機器やシステムを簡素化し、安く小回りがきく、
日本のきめ細やかな良さを見直す改革に戻るべきであろう。
そして、有能な人を、能力が発揮できるように使いこなす。
貴重な人材を浪費しないようにする、そういった地味な努力をもっと続けるべきではないか。
そうすれば、海外の企業と適材適所、棲み分け、共存することも固有種であっても可能である。
日本を「とき」にしてはならない。
2011年11月24日木曜日
2011年8月8日月曜日
『西洋古代史論集ⅠⅡ』財団法人古代学協議会編
ブログの本棚『西洋古代史論集ⅠⅡ』財団法人古代学協議会編
「民主主義」democraticの語源はギリシャ語であった。
神話と政治について、ギリシャ人の民主政観、そして発掘におけるさまざまな注意点について書かれているのが興味深い本である。
アリストテレスの政治観は、全ギリシャ人を代表したものではなく、たまたま有産階級であった彼の一意見が後世に残っているに過ぎない。
当時のギリシャ人の民主政観には、おおまかに3つあったという。アリストテレスらが唱える寡頭主義。有産階級が主権の(この本によるとソヴィエト的民主主義?)demotic
それから、democraticの語源であるデーモスを基にした、市民全体が主権の国制の「多数決方式」政治と、貧困市民が主権の国制(この本によるとプロレタリアート独裁、マルクス主義理論に近い?)の政治の2つ。
著者らによると、実際のところ普通の貧しいギリシャ人は、自分たちの選んだ上層階級の人々によってほどよく国が運営されていれば満足していたという。ただし、選ばれた責任をきちんと負わなければ、あっさりと独裁者を受け入れたのだと述べている。
うっかりすると我々は、古代の超有名人の一意見、たった一つの埋葬品などで、その時代の全てを判断してしまう。また、現代の価値観に当てはめて評価しがちである。
古代史の研究にかぎらず、外国文化の研究、生物の進化、生物の生態についての研究では、現代日本の文化や風習のバイアスが邪魔になる。
古代の法律や文化を調査する人も、現代の政治や科学を語るときも、あらゆるバイアスを捨てる努力をすべきである。
それは文化や風習を捨てることではない。現代日本の文化や風習の理解を深め、現代人の現在や未来の生活をより暮しやすくするためであることを忘れてはならない。
『西洋古代史論集Ⅰ』はまず、フランスにおける旧石器時代の再検討の論文から始まっている。昔発見された化石は、新発見にあわせて、何度か調査され直しているのだ。
1883年、フランスパリ市郊外にて、当時フランス最古の人間の居住地が発掘され、貝に似た石器によりシェル文化と名づけられた。やがて1958年にヨーロッパ最古(70~80万年前第一氷期ギュンツ頃)の石器時代の化石が洞窟で発見。
1939年にどうも、シェル文化のほうは、古い地層の上に新しい地層が堆積してできたらしいという説。つまり新しい地層のどこからか石器が流れてきたのではないかという説が浮上し、論文の著者がシェル文化の正当性を再評価しているものであった。
地質だけではなく、石器と共に発見される犀や象、カモシカ牛や馬の化石を元に時代を特定し、その地域の隆起や沈降を考慮し、更に火災や地震など、さまざまな要因をかんがえるべきであるという。
発掘における注意点、出土品にとらわれすぎないであるとか、かならずA民族がB民族を滅ぼして文化がすっかりいれかわるという思い込みを捨てるべきであるとか、参考になる話が多かった。
たとえ話が面白い。エジプトで、アメリカ製のガソリン缶を何かに再利用し、スウェーデン製のストーブを使用していたとして、後世、エジプトにアメリカ人が移住した、ラテン語を使用している人々が移住したといっているようなものだ、という。
恐竜は鳥類やホ乳類と共存し、現生人類はネアンデルタール人と共存している。また、始祖鳥やカモノハシのような中間生物も存在する。古代人も、文化の入り混じった中間型が途切れなく存在するかもしれないし、輸入品を愛用しているかもしれないと、いろいろな可能性を考えるべきだという。
『西洋古代史論集Ⅱ』のミケーネ文書にも、ギリシャのミケーネ時代に人名がギリシャ語で出てきたからといってギリシャ語を理解するギリシャ人かどうかわからないといった書かれ方をしている。
例えば、古代大和朝廷には、倭の国の言葉や風習を理解していたかどうかは分からないが、日本風の名前で記される帰化人がたくさん、最新の文化を大陸から持ち込んで活躍していたはずである。その当時、中国には、中国風のニックネームに改められた、インドやペルシャ、西洋人が多数いたはずである。
ヨーロッパの他の書物から知る 古代ローマや古代ギリシャの記述は、当時のヨーロッパの文化や価値観の影響を受けており、間違った解釈も残っている可能性がある。
アテナイ人やスパルタ人は征服した国の自由人男子を虐殺したり、ときには商人や中立のものも殺すこともあったという。周辺国には、騎馬民族もいれば、男女混合の兵士が戦う国もあったときいている。
当時の周辺の歴史を知らず、古代ローマ人などの記述だけを手がかりにしていると、他のギリシャ諸国に比べアテナイ人だけが残忍に思えたり、男性の殺された女性ばかりの国があるという記述を、後世風にゆがめて受けとったり、おもしろおかしい解釈が生じる。
例えば、ギリシャのパンを作る小立像に、後世のヨーロッパ人は、胸の平らな女性である、家事をしている女性の像であると注釈をつけたが、実際は、当時のパン職人は男性の仕事であり男性の像であったという。
ギリシャ語の文献で職業名を見ると、当時の文化がみえてくる。
羊飼いや山羊飼いは一般住民の職業だが、牛追いは賎民の仕事であったり、大工にも石大工、木大工、船大工とわかれ、青銅細工や刃物細工は一般住民であり、その火をおこすのは賎民である。
布の製作、羊の毛刈り、糸紡ぎ、機織り、皮革職人は女性だが、衣装を縫うのは男女の仕事であったなど、時代により、職業の貴賤や男女の役割分担が異なっていることが分かる。
日本の古代の職業から、当時の文化を読み取るとき、江戸時代や明治大正、昭和の価値観をいれないように、気をつけるべきであろう。
邪馬台国はどこか、日本の恐竜の化石発掘ブームの現代。
映画やアニメで興味を触発された世代にも言える。
『図解ギリシャ神話』西東社
ブログの本棚『図解ギリシャ神話』西東社
ギリシャ神話について、漫画にいたるまで参考図書が豊富に掲載されている。
日本人が「ギリシャ神話」といったとき思い浮かべる、地理や歴史、星座や占い、さまざまな断片で入ってきている情報を、きちんと整理整頓してくれる本である。
ギリシャ周辺の原始信仰、自然の人格化(日本で言う八百万の神々)から始まり、アジアの宇宙論もとりいれられ、口述で伝えられて来た。
紀元前20世紀ごろからクレタ文明(ミノア文明)、紀元前15世紀からミュケナイ文明(ミケーネ文明)が栄え、その後、紀元前8世紀ごろにホロメス(盲人の意)ら詩人により文学にまとめられた。
ギリシャ神話というのは、ギリシャ周辺の無数の伝承がこのホロメスらの脚色に加え、古代ローマ人がローマ神話の材料に利用し、さらにキリスト教徒がキリスト教的解釈を加え、女神崇拝の女神を、妖精や魔女、売春婦へと意図的に変化して、日本に伝わっている。
その、伝言ゲームのような、意味が少しずつ変わってきている要素を取り除いていくと、天の岩戸神話と収穫の女神デルメルと娘ペルセポネの伝説、ヘラクレスらが魔物退治にでかけるなど、日本書紀や仏教にでてくる説話に似た、アジア的な話が多く見受けられる。
また、洪水伝説は、旧約聖書、インドの「マツヤ神話」、バビロニアやシュメールの伝説に共通する。
当時のギリシャ人の服装は、布を腰に巻いて肩や頭にたらし、サンダルを履き、ペルシャの壁画やインドの民族衣装に近い。近隣の靴をはいた民族、ターバンや帽子をかぶった民族、うろこ状のよろい(スパンコール)を着た民族、ケンタウロスを彷彿とさせる騎馬民族とは風習が異なっている。そのままの格好で、つまり日本の戦国時代のような鎧兜ではなく、江戸時代の武士のような軽装で近隣と戦っていた節がある。
海や山に住む刺しても刺しても死なない不死身の怪物、化け物の多くは、戦闘時にうろこ状の甲冑を着ており、全身がうろこ状に覆われ蛇のような伸び放題の髪型のメドーゥサのように、「彼らは刺しても死なない不死身」と聞いていたが、実際に捕まえて刺したら死んだので、彼女だけ不死身ではなかったのだろうなどという伝承が残っている。
近隣諸国の紛争、揉め事を解決しに行く怪物退治の一方で、攻めた国を皆殺しにすることも無く、周辺の国の文化を取り入れてきている。ディオニュソスという庶民の神、酒の神は民間信仰の対象として貧民や女性に信仰され、王のように扱われ、各地に果樹の栽培法とワインの作り方を教えて回ったとされている。ティーバイの王がこの新興宗教?のディオニュソス(バッコス)を殺そうと信者を装って祭りに潜入したが、女装がばれて女性信者らに殺されたなどという伝説も残されている(紀元前6世紀エウリピデス著)。
天地創造の神話の後、実際にティタン族という偉大な人物達が国を治めていたが、彼らがオリュンポスの政治グループにアテネから追い出された様子が書かれている。例えば、ティタン人の1人アトラスは、地中海世界の安全を支えるため、うまく言いくるめられて地中海の交通の西の要所、アフリカの西北を収めるために派遣され、そのまま都のアテネに戻れない様にされている。海賊が地中海に侵入しないよう、生涯、警備していたようだ。後にジブラルタル海峡に、モニュメントを立てるため、視察に訪れたヘラクレスに、警備を代わってくれと頼んだが、あまりの大変さに役割を再び担わされたことになっている。
トロイヤを掘ったシュリーマンではないが、もともとは脚色されるまでは、かなり実話に近い物語であったことが伺える。
紀元前8世紀のギリシャの詩人ホメロスは、軍記物であるトロイヤ戦争の話が中心であり、シュリーマンが彼の作品「イリアス」「オデュッセイア」により、探究心を掻き立てられ、遺跡を発掘したことで有名である。
同時代の詩人ヘシオドスは、日本書紀のような神話「神統記」を記し、彼の作品により、ギリシャは天地創造を語った原始の神々の話のほか、5つの時代について記している。
天地創造は旧約聖書に似たところがあり、カオス(空虚、無、空)から夜と闇、昼と光が生じ、ガイア(大地、生きている地球)とウラノス(天空)から多くの神々がうまれている。5つの時代は、ガイアから生まれたクロノスら男神、女神(ティタン神族)の活躍する「黄金の時代」。ゼウスなどオリンポスの神々が活躍する「銀の時代」。まるで“ノアの箱舟伝説”のような大洪水で滅びる「青銅の時代」。そして「英雄の時代」、現代に続く「鉄の時代」となる。
やがて、紀元前6世紀に、イギリスのシェイクスピアのような舞台劇ブームがギリシャに訪れ(実際、シェイクスピアも神話を題材にした物語を書いている)、騎士階級や地主階級、神職の家に生まれた悲劇詩人達が、ペルシャ戦争を元にした話や、テーバイのオイディプス王とその娘らの話を、劇にして上演していた。
紀元前4世紀にはこれらギリシャ神話は、ギリシャをやぶったマケドニアのアレクサンドロス(アレキサンダー)によって世界中に広められた。このときの世界というのは、ギリシャだけではなく、アフリカ大陸のエジプトからペルシャ、東はインドのパンジャブ地方まで伝わったという。
つまり、仏陀の生まれた頃のインドに、すでにギリシャ神話が伝わっていたということであり、そのギリシャ神話は、アレキサンダーの遠征の何百年も前に、アジアの宇宙観も取り込まれていたアジア的な民族神話であったということである。東西の文化交流は、思ったよりも古くから何度も行き来していたと思われる。
その後、ローマ時代にギリシャの民主政や哲学などの文化が、神話と共に輸入され、ローマ帝国の拡大と共に世界に再び広まって行った。この、ローマ神話では、更に娯楽性のあるストーリーへと脚色されている。
人間を、皇帝を神格化し、神は人間の姿をしているのが当然という、価値観を持つローマ人にとって、多神教によくある“自然の神格化”や“動物の姿をする神”というのは理解しがたく、逆に「御伽噺」のようなものであったことだろう。人間を神様が動物に変えてしまうという、変身物が、この頃のローマで流行る。
また、ローマ周辺諸国の伝承を集め、ギリシャ神話のストーリーに置き換えることが始まったが、同じ太陽の神、美の女神などといっても、ギリシャとローマではキャラクターが異なっていた。それも、ストーリーを変える事でつじつまを合わせていたという。
そのヘレニズム文化は、14世紀以降のヨーロッパで、ルネッサンス運動として復興を遂げた。
私たちがよく耳にするギリシャ・ローマ神話は、子どもの本棚に並べられるようなファンタジー、星座の名前で星占いに登場するようになってしまっている。しかし一方で、ラテン語を学んだヨーロッパの学者は、ギリシャやローマのことわざや出来事を、日本人が漢文のことわざを引用するかのように、盛んに用いてきた。
西洋の哲学者や精神医学博士が、研究内容を当時普遍的な、神話の登場人物や出来事にたとえるなどし、その用語と用法は現代の思想にまだまだ影響を与えている。
マイケル・マクローン著の「ギリシャ・ローマ神話」では、ラテン語からどのように英語に取り入れられ、意味が変わってきているか解説されている。
もともと、農耕の神が商売の神となり、まるで七福神の恵比寿、大黒神のように民間で敬われ、新しいストーリーが付け加えられてきている。
本来は何も無い深い穴、空虚の意(インド仏教の空か?)が、キリスト教やトーマス・ホッグズの「リヴァイアサン」などの影響にて、混沌やアナーキーといった別の意味が加わり、本来の使われ方をしないまま英語圏で一人歩きしている。オリンピックにいたっては、オリンピアの神々のゲーム、荘厳な超然とした競技会というニュアンスから、「オリンピック」という世界大会を意味する固有名詞の競技大会のように使用されている。
ちなみに、この『図解ギリシャ神話』では、ゲーム機のサターンの由来や、聖闘士星矢の漫画もギリシャ神話の関連図書として紹介されている。
2011年7月27日水曜日
教育、医療、市町村のあり方について共有する大切さ
教育、医療、市町村のあり方について共有する大切さ
小さい頃から、折に触れて、どんな学校が望ましいか、どんな病院が望ましいか、そして町はどうあるべきか、考え、意見を交わす習慣が望ましい。
医療ならば、多くの人が受診し、家族に付き添うことで一生係わることが多い。しかし、教育は、その年代の子どもを持たなければかかわることがない。また、高度成長期に、忙しさのあまり、係わりたくとも保護者としてほとんど係われなかった人々も多い。また、戦前教育を受けたまま、独身で過ごす人々、偏差値教育を受けたまま、独身で過ごす人々の多くは、今の学校がどんな状況で、どんな先生や子ども達がいて、どのような教育が望まれているか、考える機会や触れる機会が少ない。
しかし、子ども達はその「教育について考えたことも無い」人々により、地域社会で再教育を受けて学校に戻されている。
学校に地域や家庭の連体を叫ばれているのは、なにか共同事業を行うためだけではなく、家庭のおかれている状況とその役割、学校、および企業や共同体の現状が、共有されにくい現代において、今、学校はどういう意図でどのような教育が行われているか、発信しなければ、受け取り側が欲しい情報を得られない。戦後、偏差値教育やゆとり教育を経て、個性を伸ばす教育があげられているが、具体的にどんなことがなされているのか、戦前世代や偏差値世代、独身の人々にはなかなか理解が難しい。
病院も、医師の専門性は高まり、患者のニーズが多様化している。患者側は、医師がどのような意図でどのような治療をしようとしているのか、的確な質問がしにくい。というのも、その病気にかかるのは生まれて初めてで予備知識の無い場合、何を聴いていいのか、聴くべきことが見えてこないこと、他の患者や他の医師との比較をするほどの知識がないことなどがあげられる。
スーパーや病院によっては、利用者の要望を紙に書いてもらい、改善に役立てているところもある。そして、その要望書を掲示、皆で閲覧できるようにしているところもある。その利点は、同じように利用していると思っていながら、実は、こんなことを考えている人もいるのだということを、同じ利用者も考える機会を作ることである。こういったサービスは、こういう苦情によるものであるのか。自分が不要なことに対して、不信感を抱いていた利用者が、サービス提供側の意図を汲み取り、トラブル無く、要る、要らないの意思表示を行うことができる。このことは、教育にもありえることであろう。実は、過剰サービスにうんざりしている保護者も多い半面、本当に必要な情報やサービスがないと、不満や不審を抱いている場合が多い。その、発信の仕方によっては、互いの誤解を招くことも多々ある。
話を戻すが、学校や病院、地域のあり方というのを、いきなり大人に成って質問しても、その人が答えられる範囲は、極限られている。自分の知っている範囲で、しかも自分に係わる損得の部分でしか語ることができない。しかし、小さな頃から折に触れて、勉強するということ、治療をするということ、町並みやその整備、サービスについていろいろ考えておく、そして、友人や家族、いろいろな世代と意見を交わす経験があれば、一般論として、こうあるべきではないかという全体像が、おのおのにつかめてくる。どうあるべきか、意見を持った人が集まってこそ、集会を開いたときに前向きな意見がかわされる。
サッカーでたとえよう。テレビでサッカーが報道されなかった頃、小学校の体育で、あるいは地域のサッカースクールで子どもを集めても、サッカーらしい競技になるまでにかなりの練習が必要であった。しかし、今では、サッカー初心者の子どもでも、なんとなくサッカーらしい形になる。それは、小さい頃から家族でサッカーを観戦し、運動能力に係わらず、キーパーはこう動く、フォーメーションについての予備知識が蓄積されている。ポジションはどこがいいかと聞いたときに、鮮明なイメージ画像と自己を重ねることができる。今、教育や医療、地域のあり方について、こういった鮮明なイメージ画像を共有しにくい。
サッカーでさまざまな戦術があるように、教育にも、いろいろな戦い方があり、街のあり方も、さまざまな考え方がある。その細かいことはさておいて、何の目的で集まり、何を優先すべきかといった、おおまかなことを共有することは大切であろう。点を取ることが最優先にすべきか。入試直前ならば、どの学校にも望まれることであろう。多くの人がボールに触れることを優先すべきか。それは、優秀なプレーヤーであっても、基礎練習は欠かせないであろうし、レベルの低いプレーヤーならば、意図的に多くのボールに触れる機会を与える練習が必要であろう。こんな具合に、目的を共有し、それによって戦術を選ぶように学校や病院、町を選んで利用する。住む。そういう時代がきている。
2011年7月23日土曜日
『ローマ帝国衰亡史』ギボン著中野好夫訳
故インドの首相、ネルーも夢中になってこの本を獄中で読んだという。歴史家ばかりではなく、、政治家や外交官も、熟読、愛好している。アメリカの外交理論家ジョージケナン氏にいたっては、第二次世界大戦後の国際問題に直面したとき、問題処理の知恵をこの本よりしばしば得ていたという。
著者ギボンは1737年イギリス生まれで、オックスフォード大学を中退し、ローザンヌやパリ、ローマにてこの本を執筆したという。イギリスの下院議員であり、刊行の翌年にフランス革命が起こったことは、決して偶然ではないだろう。
ローマ帝国は、紀元前6世紀ごろから4世紀まで、さらに神聖ローマ帝国を含めれば、現在のウィーンのハプスブルグ家に至るまで、長きにわたって繁栄している。
中国の殷、エジプトやメソポタミアのアッシリアの繁栄の後、ギリシャやペルシャアケメネス朝に続いて、エジプトのプトレマイオス朝やインドマウリヤ朝と共に「共和制ローマ」が栄え、さらにインドクシャーナ朝や後漢のころ、「帝政ローマ」が続く。
ローマの成功は、現代社会のあり方に、教訓を残している。
ローマ帝政のよき時代の引継ぎでは、まるでバトンや襷リレーのように、速度を落とさず、同じ向きに併走しながら受け継いでいる美しさがある。前任の重用した人物をそのまま重んじ、安易に性急すぎる改革を行わず、的確な法律や政策を速やかにたてている。皇帝もまた学び続け、家臣の模範となる講義や実演を行い、耳の痛い忠言をする家臣や両親がいる。また、共に政治を行う仲間や後輩がいる。
現代日本の、あらゆる団体のあり方や引継ぎに参考になる。
①いくつかの軍紀、訓練を課し、国への忠誠の強化によって、誰が後継者になっても、強力な軍隊に規律が守られるようにした。つまり、軍隊に「絶対服従」を強いるのは、最強の軍隊が自制心を持ち、政府に逆らって暴走しないためである。
②強力な軍隊を動かし、権力を持つものは、むやみに国境線を侵してはならない。軍隊は平和の維持のため、隣国の平和を守り、紛争の仲裁のためにつかう。安易な領土拡大を戒めている。
③権力は、国民のためにこれを行使しなければならない。
④最強の軍隊や権力を持つものは高貴な徳を備え、自分に厳しく他人の罪に寛容な哲学を学ばねばならない。
⑤身内にふさわしいものがいなければ、世襲にこだわらず、有能な人材を養子にし、引継ぎを大切にする。
しかし、2つ注意点がある。当時の時代背景と現代との違い、中世の時代背景による色眼鏡の解釈の是正である。
ひとつは、中世のキリスト教の道徳からすれば、女帝や皇后の統治や、バイセクシュアルなどは、とても帝王学として許せるものではなかった。悪帝とよばれる人物の中には、単にキリスト教の道徳から外れている、あるいは直後のクーデター犯に汚名を着せられているに過ぎない人物もいる。
また、現代のような、「人類は遺伝的に平等」であり、「自国民のみが優秀民族である」、あるいは「奴隷や農奴を容認する」といった当時の人権感覚を、ローマ史より学んでは、時代に退行する。
また、現代兵器は、当時のような弓矢の時代では、もやはない。人類を皆殺しにするような強大な軍事力を持っている。国家間のトラブルは、ローマ時代のように武力ではなく、話し合いで解決しなければ、命がいくつあっても、地球が何個あっても足りない。
それらを差っぴいて読めば、かなり現代人にも通じる教訓を与えている。
西洋もまた、原始古代は、神イコール自然。可視物全てを礼拝の対象とするアニミズムの多神教であり、母系社会であり、古代日本と同様、政治をつかさどる「巫女」がいた。左脳の理性よりも右脳の感性を大切にする世界が存在した。そこに、ゲルマニアなど、騎士道を重んじる武士社会が生まれた。多産で貞淑な妻の意見を重んじ、質実剛健なイギリスやドイツの原型となる社会である。やがて、中央集権で皇帝を神とする一神教の国ができ、その一つが地中海を中心とする古代ローマ帝国であった。ラテンの女性はより美しくきらびやかに着飾り、政略結婚の対象となり、政治は男性の手にゆだねられた。
現代の議会政治や農業、手工業、科学など、さまざまな学問の基礎が、ローマ時代に築かれた。それはまた、平和を愛し、他国の人材や文化を登用してきたからである。エジプト、カルタゴ(フェニキア人、現アルジェリア国チュニジア国)、フェズ(マウレタニア、現モロッコ国)、フェニキア(現シリア)、パレスチナ、パルティア(現イラン国)、カッパドキア国、アシア、ゲルマニア(現ドイツ)、ガリア(現フランス)、ヒスパニア(現スペイン、ポルトガル)、ブリタニア(現イングランド)など、周辺民族のよき文化を取り入れている。
ギボンの本は、その時代に望まれるべくして生まれた。共和制や帝政の試行錯誤の時代であり、キリスト教中心の中世から、ギリシャローマに倣い、近代化をとげるときであった。そして、書物が民衆に普及し始めたときであった。
1215年イギリスのマグナカルタ(大憲章)以降、貴族が議会制を望むようになった。時代は、ロマネスク建築(半円アーチ)、ゴシック建築(尖塔アーチ)が好まれ、ローマ法の研究が進んでいた。
やがて、英仏の100年戦争、イギリスのばら戦争、イタリア戦争と、ヨーロッパで戦争が続いた。イタリアで、ギリシャローマ時代を再生する「ルネッサンス」が花開いた頃である。ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロら美術の巨匠が活躍し、ブルーノやケプラー、ガリレイといった科学者がヒューマニズム思想に押されて科学を発展させた。
絶対王政の権力象徴として、豪奢なバロック建築が風靡し、ドイツの三十年戦争、イギリスでクロムウェルらが共和制を樹立する「ピューリタン革命」にいたった。
科学は万有引力のニュートン、植物学で「種の分類」のリンネ、化学で断頭台に消えたラボワジエ、予防接種のジェンナーと近代科学を築き、三権分立を唱えたモンテスキューや国民主権を説いたルソー、商業よりも農業を重んじた経済学者ケネーが民衆を啓蒙していった。
フランスではナポレオンボナパルトが皇帝となり、オーストリアに神聖ローマ帝国を受け継ぐハプスブルグ家のマリアテレジアが女帝となった期間に、ギボンはヨーロッパにて執筆を始めている。まだ、ヨーロッパにキリスト教色が強く、しかも帝政がブームの時代に、反キリスト教思想をも一部盛り込んだ『ローマ帝国の滅亡』を書いているのである。
紀元前の共和制ローマがくずれた理由も、バブル前後の日本のようである。多くの外国人労働者の参入、安い外国の穀物の流入、そして、農民が離農し、無産市民化してゆく。成金の市民が財力から政治や会社運営に参加し、哲学を欠いた、自己中心の経営や政治を行っていく。哲学を学んだ皇帝が力を振るえば、たとえ独裁でも市民の生活が豊かになり、たとえ民主的な話し合いで政治を決めても、自己の利権を優先する政治家が集まっていては国民が苦しむ。飢饉の年には、属国ばかりではなく、ローマ市民でさえ、毎日2千人が餓死したという。
日本の1億人の中から、優秀なスポーツ選手を育てた方が、よき日本代表が形成されるように、1億人の中から出生や経済力に係わらず、政治家や大会社の幹部が育成されるべきである。しかし、それには、道徳、哲学を幼少から学ぶ義務教育の体制が不可欠である。自分に厳しく、他人の罪に寛容な五賢帝にこそ、現代人は学ぶことが多いのではないか。一個人がやれることは知れているが、多くの歴史を学ぶことで少ない経験を補うことができる。若者こそ、多くの歴史や哲学を学び、若くして実践できる機会を与えてやって欲しい。
また、西洋共通の歴史書を著したのギボンのように、東洋共通の歴史を描く歴史家が現れて欲しい。西アジアから東アジアまで、古代から近代に至るまで、西洋や東洋の文献をあたって、アジア人共通の歴史観を育てるような図書が望まれる。アジア史から見た日本史、アジア史から見たヨーロッパやアフリカを、未来の子ども達に学ばせてやってほしい。
2011年7月3日日曜日
新しい理科の授業について2冊
新しい理科の授業について2冊
『理科の先生のための新しい評価方法入門』R.ドラン、F.チャン、P.タミル、C.レンハード著。
現在の公教育のあり方は、産業革命時代に新しい工業製品の組み立てライン、工程の規格化が導入され、それが、教育に取り入れられたのが起源である。
教育器具を操作する組み立て工である教師が、親方である校長の厳格な規則の下で、型にはまったことを身につける。その結果だけを重視し、指導過程での努力には価値を認めない。
アメリカは教育システムを構造主義へとシフト転換した。「グローバル社会にて、世界に果敢に挑戦していくような生徒を育て、問題解決および対人関係の技能を身につけ発達させる」よう、教育改革を行った。
科学は、「観察、推論、実験というような技能を学ぶプロセス」として、であり、分析的な思考力を身につけ「人生において、たとえどんな複雑な状況にあっても、問題解決ができることを指している」。
筆記テスト(正誤問題や多肢選択問題)以外の新しい評価方法について、開発すべきであると、この本は提案している。
全ての生徒に、分け隔てなく、教育的な、そして信頼性・妥当性のある情報を提供するため、学習内容にあった、手順・器具・課題を開発し、いろいろなデータを入手する。
また、課題評価は、生徒達の実態に合わせて、柔軟に修正できることが必要であり、学習スタイルや言語能力(帰国子女、移民、学習障害)の違いに配慮しながら、その知識や技能を評価するために、課題を自在に修正できることが必要である。
目的や技能を鋭く絞った評価と、広範な能力を評価するものの2通りに分類できる。評価はまた、今までどおりの筆記も併用するのか、実験のみであるのか、課題は数週間かけて行うのか、一人又はグループで行うのかを決める。正しい評価方法というのが、ただ一つということはあり得ない。よって、評価の開発者自身が、よりよいものになるよう、常に評価のシステムを修正すべきである。
この後、具体的な評価方法や実験方法が、小学校から高校まで、物理化学生物地学ごとに例示されている。
生物分野の例 「クロマトグラフィー」「細胞の大きさ(玉ねぎを使った光学顕微鏡の観察実験)」「ヨウ素液」「脈拍を調べる」「自然選択(種を人為的につまむ)」「二分法」など
『ファーンズワース教授の講義ノート―ゆかいな生物学』鈴木光太郎
アメリカの大学での講義の様子が、楽しく描かれている。大学生が生物学の講義の参考にするのはもちろん、高校生や社会人、教員が学ぶのに参考になる図書である。
教授によると、一般教養の生物学とは、「医者や科学者など、将来科学を専門にする学生、個人として、一般市民として生物に興味のある学生」向けであるとし、上級コースに備えて基礎的知識を身につけなければならないが、建物より、生物教育という土台のほうが堅固でなくてはならない。」……「よい医者であるということは、単に器官の名前を暗記していることだけではない。物事を自分で考えられるということだ。生物100では、君たちに考えさせる。今、世界では単に規則や指示に従うのではなく、自分で理屈を考え出せる優れた科学者、技術者が必要とされている。そしてメディアや政治家の慈悲に頼る必要もなく、自分たちで情報に基づいた選択のできる、賢い市民も必要とされているのだ。」……「他人のアイデアや研究を盗んだら、その人の将来を奪い取ることになる。」
教授は、始めに講義の攻略法をきちんと説明する。ノートとは、教授の話を急いでメモし、後で調べるための必需品であり、聞き逃すと予習復習ができないということが、読んでいると良く分かる。あまりに厖大な説明、一度聞いただけでは理解しにくい多くの情報が盛り込まれており、メモを後で解読する謎解きのような楽しみがある。これが、受講生を増やしている秘訣であろう。
ノートは、ゆくゆくはテスト直前にきちんときれいに清書するにしろ、授業中は先生の言うことを走り書きでメモするためにある。生徒は、自分で今後必要な事項かどうか、取捨選択、判別することができない。そのことを、もう一度小中学校から考え直すべきであろう。マーカーや色ペンでデコりながら、自分の力で考えつつ授業内容をまとめるという、一番楽しい作業を、学校の先生が手取り足取り行い、奪い取っている気がする。
板書のような「要点がきれいに羅列された教科書」、「それを膨らませた指導案のような説明の教科書」であるなら、確かにそれを後で清書させるのも正しい。生徒に国語力があるなら、教科書というものは、参考書や解説書のような、自習独学のためのものであるべきで、授業は国語力のない生徒にも分かるように、あるいはさらに興味関心のある生徒に自ら調べさせるために、行われるのであろう。
また、学校の勉強は、テストのためではなく、社会に出てどんな役に立つためか、教授は説明している。テストとは、自分が何を学び足りないか、また、教師が何を教えたりないか確認する場である。教師は、巣立った生徒に将来治療を受けるかも知れず、役場で手続きや、保険やなんら世話になるかもしれない。その生徒の子ども達がまた、教師の生徒となり、かつての生徒が保護者として再会するのは間違いない。
教授はまた、褒めたり叱ったり、おだてたりおどしたり、やる気を出させながら、一方で生意気な学生になめられないようにきちんとしめてかかっている。初日はスーツでありながら、翌日はバイクで乗り付けたり、アラブ人やドラキュラ伯爵の仮装は、単に授業を退屈させないために、教授は仮装しているのではなく、かしこまった大学教授には聞きにくいと思う質問、例えば、生き物とは何か、という当たり前すぎて間違ったときに恥を掻きたくないような質問、あるいはペニスや膣といった用語について、オフィシャルなところでは恥ずかしく質問しづらい状況を、「仮装空間」により改善するためであると思われる。
教師とはこうあるべきだ、服装や立ち位ぶる舞いに付いて、固定観念を打ち砕いてくれることだろう。
最後の「生物100」秋学期期末テストは、前述の『理科の先生のための新しい評価方法入門』の新しい選択問題、正誤問題の例として、いかがなものであろうか?
人や動物の知覚について
人や動物の知覚について
『動物たちの心の世界』マリアン・S・ドーキンズ
意識とは何か。リラックスした時の方が無意識にすらすらとうまくいくことが、緊張して、次はどうするのかと意識したとたんにミスをすることがある。よく知っていることや予測可能なことは、無意識の方が優れ、新しい状況や予測不可能なことには、意識のあるほうが優れているという。
「私」というものは、皮膚の下の目の奥にあるという。思考を脳に、心を胸に描く人もいるが、動物にもこのような「私」という心があるかという本である。動物は、意識によって問題を考え、望む結果を達成するには何をすればよいか、行動を起こす前に頭の中でシュミレーションすることが出来る。この再現能力が生活力となっている。自分がまだ体験していないことを、他人の成功や失敗から学び取る、聞いたり、読んだりしたことをジェスチャーでシュミレーションする再現能力である。相手の痛みや気持ちを想像する心でもある。
経験則の例として、コンピュータがどこまで会話しシュミレーションできるかがあげられている。
エライザ(ELIZA)というごく初期のコンピュータ・プログラムから多く学べるという。このプログラムは、患者の話を聞いている心理分析者の行動を模倣するように設計されている。
会話が途切れそうなときに、「最初に心に浮かんだことを話してください」などともっともらしく切り替えし、そしてコンピュータがキーワードを選び、「あなたの○○について話してください」という台詞の空白にキーワードを入れていくと、まるで会話が成立しているように聞こえる。たった数行のプログラムで可能であるという。
『動物は世界をどう見るか』鈴木光太郎
動物達がどのように空間を知覚しているか。同じ人間同士なら、同じであろうという前提でコミュニケーションを行っている。人間でも動物でも、本当に自分と相手は同じように知覚していると証明はできない。
かつて、被験者に体験や記憶、知覚内容を書かせた、主観的な心理学から、心理学を化学的なものにしようと、ワトソンの行動主義という流れがアメリカで生じ、人間や動物を刺激に反応する機械のようにとらえた。心を研究するはずの心理学が、心をあつかわなくなって久しい。やがて、人間と動物との心理の比較という目的が薄れ、スキナーボックス以降、単独の種の学習というテーマが重要視されてきた。
ネコを使った実験に、縦じまだけ見せて育てた猫、横じまだけ見せて育てたネコ、ネコのメリーゴーランドという実験がある。
縞模様を見せたネコは、逆の向きの縞模様に相当する棒を避けることができず、電柱にぶつかったり、倒木をまたげずにつまづいたりするという。また、メリーゴーランドにつながれた2匹のネコのうち、能動的に自分から歩いてぐるぐる回るネコは、目の前の物体に前足をかけて伸びをすることが出来るが、乗り物に載せられてぐるぐるまわるだけの受動ネコは、目の前の物体に正確に足を伸ばすことができず、障害物をうまく回避することができなかった。これは、対象を注視するために目を動かし、そこに前足をもっていくという、視覚と運動の協応が考えられるという。
脳が見ている映像は、目が二つでありながら、一つの像であり、しかも立体的に見えている部分と片目の部分との間に境目がない。
脳が、網膜に写る像に対して、補正や補充を行っている。網膜像はあくまでも材料であって、それをもとに製品として加工された映像を知覚している。
網膜では動かない映像は知覚できない。網膜は小刻みに振動することにより、血管や視神経が写らない。
また、網膜に変形して映った画像も、脳で正しく補正される。
脳の知覚は、他の運動神経や感覚器官と連動できるように、小さな頃から訓練すべきである。
現在の絵本や図鑑の欠点を挙げる。どこからどこまでが一冊の本かわからないほど、天然色の図柄が一面にちりばめられ、何冊か本が机の上に積み重なっていると、ウォーリーを探せのような状態で、多くの視覚情報の中から目的の本を探し出せない。雑誌も叱りである。
一方で、子供向きの本に、パステルカラーや境界線が不明の本、内容が抽象的過ぎるもの、知育ながら、子どもの工夫や想像を奪い、作業が何らかの意図を強制させるものなど、こどもには遊び方が難しいものが多い。できれば、遠景のようなパステルカラーの背景に目的のクリアな天然色の物体を置く、その物体ははっきりとした形や境界を持っている。迷路なら迷路、クイズならクイズ、こどもが指でなぞるならなぞりやすく、文字を読むなら読むことに集中できるように、配置に工夫が必要である。
目の不自由な子ども達の絵本のように、色と共に質感が異なる、ひし形や長方形などの図形が正確である、あまりにコラージュや加工を施しすぎると、小学校以降の図形認識に苦労する。
今の子ども達にも、実験者効果、クレバーハンス効果があらわれることもある。教室の空気を読むあまり、教師の答えて欲しそうな事をうまく類推してしまう、「世渡り上手の」「社交術の高い」子ども達である。2択で質問すると、かなりの確率で正当のほうを言い当ててしまう。
子ども達が、知覚を正常に発達させ、物事をきちんとシュミレーションできるような、幼少時からの教育が必要である。
2011年6月27日月曜日
『あなたにとって科学とは何か』柴谷篤弘著を読み返す。
科学の発展と個々の人間の生活との係わり合いを述べた本である。
この本の主題は「わたしにとって」の「科学技術」と、
「科学技術」にとっての「わたし」の2つである。
「わたし」が科学者の立場を侵しもせぬかわりに、科学者からも干渉されずに生きる方法はないものか。と問いかけている。そして、「人間としての科学技術者とは」何かと。
人間は自ら感じ、考え、それによって行動を決めているが、環境や文化に影響を受けており、選択の自由があるようでない。
1人だけ原始時代の生活を送ることもできなければ、異なるエネルギー消費システムや政治システムで生きることができない。
『国家全体の経済』と『エネルギー需要の見取り図』が、科学者など一部の専門家の手で描かれ、昔ながらの生活を営む半農・半漁の人々には、専門家相手に議論しようにも、交渉を継続するチャンスがない。科学が発展するほど、専門家が独走する危険が増すという。
専門家に対する反論もまた、これを切り崩すための『お知恵拝借』としてやはり専門家である科学技術者が疑問をはさみ、反論し、結局は住民が置き去りにされ、科学者対科学者の言い争いとなると言う、
柴谷氏のやんわりとしながら「これではいつも、いつまでも住民が主体になれない」と言う趣旨の、意見である。
科学技術と政治とが連動して、個人の生活を決めていると言う話の後に、国の原子力政策が例に挙げられ、今読むと興味深い。
原子力などの一部の専門家が、他分野の科学者や住民に、口を挟まないよう求めたり、利権で動きがちである。学術会議や科学者会議が公平かどうかを問う。
「人民のための科学」と称して、科学者の意見が住民の意見よりも尊重、優先される社会体制ないしは雰囲気がある、という。
なんのために電気が必要か。つまりたとえていうならば、決まった収入の中から何に消費をするか、必要不可欠な出費項目について家族で相談するよりもまず、出費が増えるのだからと、収入そのものを増やす方向から、検討するようなものである。
これまでも科学者は、良かれと思って、亜熱帯や熱帯の植物を温室で改良し、南国で大量生産させたり、アフリカにきれいな水をと、たくさんの井戸を掘って、乾燥化を促し砂漠を広げたり、科学者を民衆のために使おうと思うアイデアが、結果として、南国やアフリカの人々の主食の生産を奪い、飢餓を広げたと言う記述も、ダーウィニズム、植民地的発想であろう。
また、ベトナム戦争では、効率的な戦略として、枯葉剤でジャングルを枯らすというアイデアは、確かに、科学者が発案している。
比重の大きいウランを使った兵器も、化学兵器も原子爆弾、水素爆弾も、科学者の工夫のたまものである。
柴谷氏の言いたいことは、決して『科学万能で推進』または『原始未開に逆行』の2択ではなく、もっと多くの人が係わって、公平に考えていこうということではないか?
柴谷氏は1977年発行のこの本にて、「日本で原子力発電に対する科学者のあからさまな反対運動がおこりにくいのは、研究費をとめられる心配からである」。また、「環境問題については問題が起こるまで無視されている」のは、「産業と軍隊が融合しているせいではないか」と推察している。
「(教育者および科学の)個々の研究者は、自分がどういう政治的立場で研究をしているのか、ということを、鋭く意識している必要がある」
「対象のすべてを量化し、数式化することが、それを理解するただひとつの方法であると宣言する方法論そのものが、客観性からはずれる」
知識を客観テストで数値化し、偏差値で評価してきた教育に対し、評価するとはこういう手順の事だという思い込みにどっぷりと使っている教育者は、かえって客観性から外れてしまうことを警告している。
専門家(エリート)だからこそおちいりやすい、物事の細部しか見えない盲目の状況を警告している。
合理性と非合理性について、言葉に出来ない「暗黙の知」についての話も興味深い。つまり世の中には、動物の頃よりある言語以前の直感について、量化、数式化では測れないものがあるという。現在の科学者なら、脳には言語以外で処理する動作記憶、空間記憶というものがあるなど、別の解釈を持ってくるかもしれないが、執筆した当時は、科学的には直感としか表現しがたい内容であったのだろう。彼は科学者でありながら、小説『鏡の国のアリス』を表紙にもってくる人物である。脳の右半球的認識、異なった人間の相互理解しつつ個人の知の自立、自主性が育つと、科学者と大衆という区別がなくなるという。「大衆」と呼ばれる人々の実践を尊び、地方分権にマッチした思想である。
「フロンガスによるオゾン層の破壊」「気候変動の問題」「殺虫剤など農薬や遺伝子組み換え作物の問題」「紙巻たばこの害」こういった問題にも、すでに触れている。
住民運動が労働者の職を奪い、近代科学が労働者が新たな危険物質に晒される機会を増やし、また、合理化による職場の縮小をもたらしている。現在の日本を襲っている社会問題は、科学者と大衆のあり方だとすれば、ひとつひとつの問題に取り組む事も大切であるが、科学のあり方について根本から考えていかねばならない。
もう、20年以上も前に、柴谷氏により、現代科学の長所短所について、警告は発せられている。科学を科学者だけのものにしない教育、自分達の生活について、住民が考え、判断し、意見を述べられる社会をつくるための教育が、望まれる。
最後に、5科学の「善用と悪用」の9政治・社会・倫理の科学化の章について、柴谷氏の本文をそのまま抜粋させていただく。
「実際には、過去10年間(1967~1977年)のエネルギー需要が三倍になったから、今後10年(1977~1987年)についても、ほぼそれに近い増加率を見こみ、発展についてはこれを水力、火力、原子力に配分することになります。すると原子力だけで10年先(1987年)には、現在の電力消費量に相当するものを発電する事を欲求され、火力発電も現在の規模の約2倍が見込まれる、ということになります。そして、それが達成されなければ、未開野蛮にもどるか、電灯がなくていいのかという開きなおりが出てくるわけですが、発電量のどれだけが照明に用いられ、そのうちどれだけがどのような価格で、家庭用照明に用いられるのか、どれだけが電力で、そのうちどれだけが家庭用なのか、そして何よりも巨大な原子力発電所をつぎつぎと建設するのに必要なエネルギー需要と建設された発電所のエネルギー出力との収支は次の十年間にどうなるのかといった点を、くわしく分析したあとでなければ、このようなおどし文句は効果がないでしょう。しかし問題なのは、こういうことが、すべて統計として出されてきて、その判断にはいろいろの技術問題の知識がからんできます。しろうとには、それらのすべてを正しく判断する事はできません。だからおまえたちはだめなのだ、科学技術者・専門家にまかせておけばいいのだ、といわれるゆえんです。けれども一番基本のところには、国民のおのおのが、どういう生活を選んでいくかを、自分で定めるべきだという命題があって、そこのところを国民が、判断しかねるように、判断しにくいように、判断をあきらめるように、科学技術の問題が政治と社会と倫理の領域におしよせてきているわけです。そしてさらに、最近の科学の進展によってこういう人間の主観的な判断が、科学技術知識のもとづいて、客観的になされるようになったのであって、それを信頼しないのは非合理的である、ともいわれるのです。」……省略……「今日では国家や地方自治体の法律や条例の中に、科学技術の概念、それによる定義、それをもとにした操作が、ますます多く半的手織り、社会全体の運行が、著しく変わってきたといえるようです。原子力発電が大規模に行われるとなれば、日本中がこれと共存して生きていく必要があり、それに対する注意やや監視無しには、枕を高くして眠れないと言う事態になります(原子力発電が大規模にならなければ、無理に共存しないという選択肢や、枕を高くして眠れる可能性もある)。科学技術者は社会に必須の人間であり、他の人々はこれに対してあまり口を出せ亡くなります。政策の多くが科学技術の形をとります。電気計算機(2011年現在いうパソコンか?携帯電話を含めてもよいかもしれない。菰池)の普及がその例で、人々の生活、職業のありかた、個人の私生活のあり方などが、短時間の間にいちじるしく変わってきます。一般の人々は、それに対する判断も出来ないままに、国家権力や大資本と結合した科学技術者の「好み」のままに、自分で自分の生活上の重大な選択をする能力を奪われて、ますます多く、管理された生活の中に甘んずるよりほか、しかたがなくなってきます。そういう社会の運営には、明らかに、ますます多くの資源、とくにエネルギーがつぎこまれねばなりません(運営を変えれば、エネルギーをつぎ込まなくてもよい)。そして、もし、その一部が、何らかの理由で円滑に入ってこなくなると、大きな社会的混乱がおこりますが、その際、一般の人々は自分の判断でその混乱に対処し、そこに生じてくる困難を、必要あらば互いに協力して切りぬけてゆく能力も知識も動機もないままに、打ち捨てられてしまうでしょう。
このような観点からすれば、原子力発電の選択は、あきらかに全ての国民に関係した政治的選択であります。しかもそれは世界全体の政治的将来にも密接につながっております。日本がエネルギー源を失うということは、発展途上国のみじめな状態に、日本が身を沈めることに等しいと、よくいわれます。しかし先に述べたように、開発途上国の経済と生産と食糧事情の困難さは、それらの国の社会的制度によると同時に、既開発国の増大していく物質的需要によってつくり出されているのであります。つまり、本来ならばたとえエネルギー資源が乏しくても開発途上国はいまのように困難な状態に転落する必要はなかったのであります(日本も、エネルギー政策を転換していれば、今のような困難な状況に転落する必要はなかったといえる)。したがって、ここでも問題は、既開発国と発展途上国との経済的政治的関係なのであって、既開発国のエネルギー使用の増大は、この傾向をいっそう拡大するものなのであります。しかもことがらはかんたんなものでなく、貧窮化する開発途上国は、既開発国の経済編成にまきこまれつつ貧窮化しているので、現在の経済構造に変化をつくり出せば、開発途上国はその一次生産物(現金作物)を、安値でさえ輸出する道を失って、食糧を輸入する事ができなくなり、飢餓の状態に落ち込んでしまいます(バブルの後、アジア各国で順々に投資熱が高まり、経済構造が変わってしまった。そして、日本を含めて、第一次産業が低迷している上に、食糧を輸入する購買力が奪われつつある。菰池)。また同時に、既開発国の需要に奉仕するための一時的生産に従う人々を失業に追い込む事でありましょう。必要なのは、これらの国々が、何よりもまず食糧を自給する経済に展示、それに応じて既開発国もその物質的な生活水準をきりつめてゆくことにあり、そういう視点からすれば、既開発国のエネルギー需要と社会構造はいちじるしい変更なしにはすまされません。われわれの当面している地球人口と環境危機というのは、元来はこのような性質のものであって、原子力発電の安全性というのはそれにくらべれば、まったく二次的に派生してくる問題に過ぎないのであります。」……省略……「原子力発電のような、新しく発展してきた高度に社会的な領域では、ほんとうの「専門家」などはまだ1人もいるはずがなく、全員が当面する問題について、実は「しろうと」なのである、ということを忘れてはなりません。」
『アシモフの科学者伝(原題Breakthroughs in Science by Isaac Asimov)』
『アシモフの科学者伝(原題Breakthroughs in Science by Isaac Asimov)』(木村 繁訳)を読み返す。
高校生以上の読者が、数学や物理学、化学などの歴史を振りかえるには、この科学者伝がお勧めである。
紀元前6世紀の三平方の定理のピタゴラス、紀元前5世紀の幾何学のユークリッド、紀元前3世紀当時の計算法で、アルキメデスは「球の体積が、それを包む最小の円柱の体積の三分の二になる」を発見した。彼らが使っていたのは、位取りのないギリシャ数字であり、新たにギリシャ文字を組み合わせて、累乗表記のような方法を考え出したという。2000年後のニュートンの微積分法は、現在と同じく計算のしやすいアラビア数字である。
(エジプト・バビロニアで生じ、アラビア・ペルシャで発展した数計算(代数)とギリシャで発展した幾何学、幾何学はデカルトらにより代数で表される解析幾何へと融合進化し、微積分法などの解析学が広がって行った数学史が、現在、日本の中学高校で学ぶ「数学」となっている)
ドイツのレントゲンは、真空管「陰極線管」で放電すると生じる線、「陰極線(電子線)」がボール紙やドアを通して化学物質を光らせる未知の線、「X線」という放射線の研究を行った。このX線がウラン塩から出ていることをベクレルが気づき、写真のフィルムと結晶をいっしょにしておくと感光することを発見し、体内をX線が透過することで骨が影として写る、ホラー映画さながらの気味の悪い写真、「レントゲン写真」が生まれた。
後にレントゲンが研究した、「高速の『電子線』が真空管の陽極をたたくとX線が発する原理」。そしてベクレルが研究した「ウランからは、三種類の放射線がでていること、そのうち透過力のもっとも強い放射線はガンマ線(γ線)であること」を、物理学者のトムソンが解明し、原子物理学の基礎を築いたという。
(のちにラザフォードにより、三種類の放射線のうち2つが、アルファ(プラスのヘリウム原子核)線、ベータ(マイナスの電子、陰極線よりも高速)線と名づけられ、3つめのガンマ線は、のちに結晶による回折実験によって電磁波であることが確かめられた。
ちなみにX線は①透過作用ばかりではなく、レントゲンの気づいた②蛍光作用、トムソンが解明した③電離作用、ベクレルが気づいた④写真作用、そして生物学者マラーの発見した⑤生物体に対する作用がある。
⑤の発見者であるマラーは、遺伝学でノーベル賞を受賞しており、「知能と社会的協調性に優れた男性の精子を冷凍保存して子供に恵まれない夫婦に人工授精を施す(後に『ノーベル精子バンク』へと発展)」運動を熱心に行った他、放射線によって突然変異が誘発されることを発見し、原子力エネルギーの普及に伴って、人類の遺伝的資質が将来弱体化することを深く憂慮していたという。
ウランが出す放射線の研究者、マリー・キューリーは、60代で白血病で死んでいる。)
ニュージーランド生まれでイギリスでトムソンの元で研究していたラザフォードが、(原子番号7番、質量14である)窒素原子にアルファ線(原子番号2番、質量4のヘリウム原子核)をあて、ベータ崩壊により(原子番号8番、質量17である)酸素原子に変える実験を1919年に行った。そして、1931年にアメリカのローレンスが、陽子を高速でぐるぐるとまわすサイクロトロンの研究を始め、1940年代には最初の原子炉の開発を研究した。また、大量の(天然のウランでは質量238のところ、235しかない珍しい放射性同位体)ウラン235と人工元素の(天然ウランからつくる質量239の放射性元素)プルトニウム239をつくる計画を進めたという。
アイザックアシモフは、この著書にて、「原子爆弾の形での核爆発は、人間にとって非常に危険なものとなりうるが、それは普通の爆発についても同様である。ふつうの火も危険なのだが、人類はそれを使って、はかり知れないほどの利益を得てきた。人類は、いま原子の火を制御できるようになったのだが、それを賢く使いこなすことができるだろうか。」と述べている。
1454年にドイツ人、ヨハネス・グーテンベルグが活字印刷を始め、イタリア、フランス、スイスに波及し、1476年にイギリスでも印刷所が始めて設立されてから、ヨーロッパの文化が世界を制するようになった。
ヨーロッパではそのときになってようやく、一般市民にも読み書きが必要だ、市民のための公教育、市民のための公立学校が必要だということに気がつく。それまでは、アジアの方が文化的に優勢であった。
ギリシャやローマの文献は、図書館のお陰で紀元前の知識が後世に伝えられてきた。エジプトのアレキサンドリア、トルコのコンスタンティノープル(イスタンブール)の文献が1204年に十字軍に荒らされ、1452年にトルコ軍に占領されて以降、地中海諸国の文化はイスラム圏で保存されていた。
木版印刷の世界最古は日本の770年に刷られた百万塔陀羅尼であるという。日本では庶民が読み書きそろばんを習い、その気になれば寺という大学に出家し、学問を修めることが出来た。
(手書きの聖書がイギリスで初めて英語で発行されたのが14世紀、活字印刷で英語で聖書が刷られたのは1526年という『英語の冒険』)
「印刷が世論、コモンセンス(常識)をつくりだした」という。
活字文化が衰退すると、文化が衰退する。森林が消え、水が枯渇すると文明が衰退する。電子文化一辺倒ではなく、もう一度、活字文化を温存する方向へ、検討できないものか。
過去の知識を大切にする文明が、反映し生き残ってきた。過去の知識は、図書館の文献であり、年長者である。年長者を大切にしてきたところに、古代文明が栄えている。
一人の個人で改良、発見できることは限られているのであり、新しい問題や災難も、過去の文献により、工夫して乗り越えていける。
また、狭く深い学問の追及のやり方を改められないであろうか。紀元前のギリシャやローマ、後の16世紀ルネッサンスのヨーロッパの科学者は、数学も医学も天文学も治めるばかりでなく、絵画や音楽などの芸術も学んでいた。革命的な発想は、狭く深い追求では生まれないことを表しているのではないか。現在の科学が煮詰まっているとすれば、遠くの一点または近くの一点を見つめる、望遠鏡または顕微鏡を覗くような視野の狭さではなかろうか。
『パンダの親指』by Stephen Jay Gouldを読み返す
進化論再考のエッセー
『パンダの親指』by Stephen Jay Gouldを読み返す
「教師というものは……自分の影響がどこまでおよぶかを知ることは決してできない。ヘンリー・アダムス」
「発生生物学は、分子遺伝学と自然史とを統一的な生命科学へと統合することになるかもしれない。スティーブン・J・グールド」
多細胞生物の胚発生はいつどのように表現するかという、オーケストレーションのタイミングの調整については、単なる遺伝暗号(DNAの三つ組暗号)ではなく、もっとレベルの高い制御が存在するはずであるという。
ダーウィンの進化論を「雌に接近するための雄に同士の競争」および「雌自身による雄の選択」という性淘汰の考え、人間の知能の起源ついて、ウォーレスの反論。
人間の脳の大きさと知能に相関があると唱え、白人男性の優位性に関して、ブローカ言語中枢を発見し「人類学」を確立した医学者ブローカ。同じく医者であり、障害児の学校の校長であったモンテッソーリも、児童の脳の大きさと知能とに相姦が有ると考えていた。フランスの動物学者であり化石による比較解剖学から「古生物学」を確立したキュビエ男爵の脳の大きさの話。
21番目の染色体が3本ある症候群を発見したダウン博士が、アジア人のような白痴として「蒙古白痴」と蔑視した時代背景。犯罪者や知的障害者を進化の退行、「先祖がえり」「発育停止」ととらえていた時代でありの化石人類、「下等」人種の正常な成人、白人の子ども、「先祖がえり」「発育停止」をした不幸な白人男性の4つに、関連があるとダウン博士が間違った洞察を行ったことによる。
恐竜は脳の大きさの割りに、温血で機敏に動いていたという説は、今日では普通に見られるが、1980年の出版当時には画期的な意見であった。水の浮力の中でのそのそ動いていたのではなく、尻尾を持ち上げ、首を絡めあい、地面を駆け回っていたという挿絵は、ジュラシックパークなど後の映画に影響を与えたのだろうか。
また、有袋類が有胎盤類に劣るという説に対しても、たまたま、有胎盤類のほうが激しい競争にもまれてきただけであり、北半球に有袋類、南半球に有胎盤類がいたならば、有袋類の方が勝っていたかもしれないという。
人類も、たまたま白人が北半球にいただけで、北半球にもともと有色人種、アフリカ南部とオーストラリアと南米にもともと白人がいたなら、ヨーロッパとアメリカで栄えたのは有色人種で、白人がアフリカから奴隷としてつれて来られていたのかもしれない。
弥生人の方が日本列島でのんびりと暮らし、大陸でもまれたたくましい体格の縄文人が農耕と共に日本列島にやってきていたなら、弥生人が山間部においやられ、平野で政権を握ったのは縄文人であったかもしれない。
「われわれは生存機械―遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械―なのだ」と著書で述べた、ドーキンスの『利己的な遺伝子』。物質を原子よりも小さい単位で考える世界から、生物の個体、さらに生態系や宇宙まで拡大する階層構造でいえば、ドーキンスは生命の進化を、いままで着目されてこなかった遺伝子という小さなレベルについて考え、遺伝子を人間や国家のようにたとえて説明しているという。そうでなければ、自分の繁殖を犠牲にする、「一見、利他的な行動」は説明できないという。
スティーブン・J・グールドは「多数の遺伝子たちが議員総会を開き、同盟を結び、条約に加盟するチャンスを狙い、(これから)起こりそうな状況を予測するのだ」とドーキンスの考え方をたとえている。
しかし、分子レベルの物理的な単純な現象のみで考えられるのかと疑問を持っている。しかも、ドーキンスも本当は分かっていてあえて遺伝子にのみ着目して説明しているのではとことわっている。
小さな遺伝子はいつもいつも淘汰という検閲を受けるために表面に現れるとは限らず、検閲を受けない部分もあるのではないかといっている。生物体は遺伝子によって作られた様々な部分が、協同して複雑な相互作用をし、環境から長年にわたって影響を受けるという歴史を経ているという。
私たちは、遺伝子が万能でないことをしっており、たとえクローンでも環境や経験によってまったく同一の生命体に成長しないことをもはや体感的に知っているのである。
検閲を受けない遺伝子が残る偶然性(遺伝的浮動)について、木村の中立説のことをいおうとしているのかもしれない。
かつて、生命は動物と植物という2つに分けられていた。それは世の中の人間は男性と女性の2つしかないというくらい明らかなものとされていた。
生物学が動物でもなく植物でもない、第三の生物菌類が存在する、あるいは原生生物、原核生物を加えた五界説などという頃、社会的には白人男性のグループとその他のグループというおおきな2択が揺らいでいる時期であった。
白人女性、白人の子ども、化石人類、下等人種の正常な成人、先祖がえりや発育停止をおこなった不幸な白人男性の中から、白人女性や有色人種の人権という問題が浮上、さらに障害者の人権やネアンデルタール人がいかに現生人類に近いかという化石人類の人権問題まで浮上してきた。
こうやってつきつめていくと、生命の尊さ、生命の分類、人間社会における生命の区別というものが、いかに人間の主観であり、「科学的に正しく分ける」ということが、「平等に扱うこと」や「正しく扱うこと」とに決してつながらないことを示している。
ハレー彗星を発見したイギリスの天文学者ハレーは、地球の自転は年々遅くなっていることを発見した。ドイツの哲学者カントは、月の引力による潮汐摩擦が、地球の自転をおそくしていると主張し、天文学者のジャストローとトンプソンは潮汐摩擦は「回収できるものなら全世界の必要量の何倍もの電力を供給するだろう。しかし、沿岸部の海水をかき回し、地殻の岩石の温度を上昇させるだけで消えていく」という。さらに、サンゴやオームガイのからには、一日の潮汐による縞模様が年輪のごとく記録されているという。水中をを毎日上下するだけで縞ができるなら、確かに津波による海水のかき回しも、貝に記録されるに違いない。貝の化石に過去の津波のあとが発見される日も近いのかもしれない。
月は現在は30日で地球の周囲を公転するが、貝の化石によると4億2千万年前には一日が21時間で、そのうち月はたった9日で公転していたのではという。3億五千万年前に一月27日という説もあるが、その頃の生物は時間の流れを今とは違って感じていたことには舞がいないだろう。そして、クレーターのはっきり見える巨大な月が、地平線や水平線から昇ってきて、その体内に与える影響も今より大きかったことだろう。
細胞の感じる発生分化の時計、生物の持つ体内時計、体の大きさと寿命の相関を考えると、人間の時間の体感のなぞが、やがて解明されていくに違いない。
2011年6月23日木曜日
脳は、どのように時間を感じるのか
脳は、どのように時間を感じるのか。
自由な発想で考えてみる。
細胞は、自分の時計を持っており、刻々と遺伝子が解かれ、その時期に応じた情報が活発に取り出されて細胞の生涯を終える。
分化により、寿命の長い細胞や、プログラム死を迎える細胞に分かれる。脳は、発達を終えると後は萎縮する一方であると言われている。
脳は、どのように人生を、時間を感じているのだろうか。
一般に、忙しいときほど早く時間が過ぎ、歳をとるほど時間が早く過ぎる気がすると言われている。これは、気のせいなのか?
忙しいと気がまぎれるのか?歳をとると、物忘れが激しく早く時間が経つ気がするのか?
脳の処理が、複雑な事項ほど多くのメモリーを消費し、ゆっくり作動する。
幼児期は慣れていないために、ゆっくり作動するが、複雑なことはまだできない。
全てのことを克明に記録し、有意義な時間を送っているはずである。
青年期、壮年期には、厖大な情報や作業を同時進行でこなしており、ひとつひとつの作業はパターン化され、あまり記憶されずに且つ、複雑なソフトが多くのメモリーを消費し、動作が重たく、よって時間を早く感じるのか。
歳をとるほど、簡単なこともかなり集中して行わなければならなくなる。やはり、複雑なソフトを起動したときのように、動作が重たく、よって、時間を早く感じるのか。
こう、考えると、脳の老化、細胞の老化は、たとえ一卵性双生児でも、違ったスピードで進み、寿命は異なるのかもしれない。時間はみな、同じ長さで流れていない可能性がある。酸素を多く消費すると、早く細胞は老化する。複雑な作業で動作の重たい脳細胞は、若いままであるのか?あるいは、筋肉のように、使うほど余裕が生じ、怠けると消耗が激しいために早く老化するのであろうか?
よく、「運動ばかりしていると脳まで筋肉で出来ている」というばかばかしいジョークを聞く。しかし、脳も使えば使うほど、栄養や酸素を蓄えているのかもしれない。脳のスタミナが切れると、神経痛になるのか?すぐに真っ白になったり、すぐに酸欠で視野が真っ黒になったりする。脳も、脊髄のように、使いすぎると神経痛を起こすはずである。夜になると、脳も疲れて緩慢となり、朝は記憶も優れている。
夜、眠っていると、記憶は、似た記憶はまとめられ、省略され、コンパクトに収納される。また、引き出しやすいように見出しやタグをつけられて、収納されていく。この作業も、やりすぎると脳は疲れる。夢を見すぎると、朝起きると脳が疲れていることがある。夢を見すぎると、夜、時間の経つのが遅く感じられる。
ということは、夢を見ない間には、神経細胞を休めたり、ストレッチなどのメンテナンスをしているのか?その間に電気の刺激がないために、時間があまり経っていないような気がするのか。そして、良く寝るほど、眠る時間が長いほど、脳細胞の寿命は長いのか?結果、長生きにつながるのか?
脳のことは、あまりに分かっていないことが多い。脳死の脳は何を考えるのだろう。本当に、夢を見ていない状態で寝ているのに近いのであろうか?それとも、悪夢を見た後のように、気分が悪く体がだるいのであろうか?
あるいは、脳が生きたまま、心臓が止まった身体は、何を感じているのだろう。彼らは、夢を見ているように、何かを感じ続けているのだろうか?家族の声を聴き続けているのだろうか。それはどのくらい続くのか。トンネルをくぐる気持ちであるのか、暗い穴に落ちる感覚であるのか、河を渡ったり、光の方に向かう感覚であろうか?
瀕死から蘇った人は、死にかけながらいろいろ考える余裕があったという。彼らの過ごす時間は、かなり長いに違いない。それは、脳が酸素と栄養を使い尽くし、血流が止まって保温機能の高い頭蓋骨中の高温が続く間中、活発に行われるに違いない。
寿命の来た人の脳は、酸素も栄養も少なく、速やかな停止を向かえることだろう。そして、若くして自ら寿命を縮めた人は、かなり長い停止までの時間を、苦痛と共に過ごすのだろう。死者の脳に、質問することが出来るなら、あえて知るべきであろうか、それとも知らないという幸せを選ぶべきであろうか?一生に一度の楽しみとして、苦しみとして。
2011年6月20日月曜日
脳は、どのように記憶し、連携するのか
脳は、どのように記憶し、連携するのか。
自由な発想で考えてみる。
脳は、多くの情報が記憶され、同時にいろいろなことが可能であるが、仕組みがあまりよくわかっていない。
最近はコンピュータにたとえられることが多く、一時記憶を行う部分、短期記憶を行う部分、長期記憶を行う部分など、記憶をになう箇所も分業されており、
視覚聴覚などの情報が脳内で心で見る映像再現部分、心で聞く音声再現部分、臭いや味や触覚を再現する部分といった、感覚神経の記憶を統合するところ。
手足の動きや口の動き、平衡感覚や一連の動作を記憶する、運動神経の記憶を統合するところ。
読み書きのソフトやビデオのソフト、計算ソフトが起動する部分。
そして、それらを総合的に組立て、並べ、分析して結論づける、意志の部分。
人間の記憶も、電気信号のオン、オフであるのか。それとも、物質か何かが変形したままとなり、それが記憶となるのか。その変形は可逆的であるのか。記憶が一度行われると何度も訂正が難しいのは、変形がせいぜい2往復どまりで、それ以上変化しないとすれば、タンパク質か何かが立体構造を変えるのか。
仮に、電気信号や物質が2種類で記録するならば、一次元ならバーコードのような記憶とうちであるのか?脳が自ら、脳波により立体スキャンが可能ならば、それは3次元の立体バーコードであり、記憶の種類の区別もかなり可能であると思われる。
人は記憶の糸を手繰ろうとするとき、視線を上に向けて脳内のないものを見ようと神経を傾ける。あるいは、脳内の信号を聞こうと耳を傾ける。脳波は視覚でキャッチできる電磁波なのか、それとも音波のエコーの共鳴で拾っているのか。コウモリやイルカなどが音で遠隔地の障害物の距離や形を測定できるなら、たった10cm四方の脳内くらい、簡単に測定できるのかもしれない。
五感はどのように再現されるのだろう。そもそも、感覚神経は一方通行なのか。神経細胞が数cmから1m単位の長さであるならば、細胞内の伝導により、逆向きにも伝わるのではないか。このため、網膜の視神経細胞は受信機であり映写機となり、内耳の聴神経細胞は仮想のマイクであり仮想のスピーカとなるのか。そして、それは一本の神経細胞では交互通行であるが、数本の束であれば、光ファイバーのように、同時に情報が行き来できるのであるか?
脳内で考えるとき、動物は動きの記憶で覚えている。歩く、走る、回転する、動きの記憶を並べることで考えることが出来る。
脊椎動物は、五感の感覚の記憶で考えている。絵や映像を並べたり、音を並べたり、臭いや味の記憶、皮膚感覚の記憶を順番に並べることで、暑いときにはどうしよう、敵が着たらどう逃げよう、抽象的な事も思考できる。
ホ乳類にいたっては、記憶の絵カードを使って、かなり高度な文章作成能力があるのではないか。
鳥類やイルカなどは、絵カードの変わりに、それを表す単語の音声も持ち合わせている。彼らは頭の中で言葉が鳴っているはずである。人間と同じく、言葉で考えている可能性がある。
ヒトは更に言葉を文字という絵カードでも記憶している。仮に音声で記憶できなくても、文字が浮かび上がって欠落した記憶を補うことが出来る。テレビや映画のテロップのように、文字放送で考え、記憶することも可能であるが、音声のスピードには叶わない。音声の情報は、短時間に膨大な量の再生力がある。一秒間に、十数文字以上、つまり、普通は聞き分けられないほどのスピードで再生できるはずである。というのも、本の黙読では、一ページを読むのに、数秒しかかからないこともある。映像においては、もっと速い。生命の危機の折には、ビデオの早送りのように、これまでの人生を短時間で再生可能といわれている。すでに記憶されている内容を再生するだけであれば、脳内で記憶を再現するスピードと言うのはすさまじい。
おそらく、デジタル放送のように、いくつものチャンネルを同時に画面に表示して、複数の音声と画面を、同時進行で処理できるのであろう。ヒトは音楽を聞きながら、他人の話を聞きながら、返事を考えながら、一方で本を読み続けるなどと言う芸当が出来る。
しかし、聞き覚えのない言葉、見覚えのない風景、新しい概念を記憶するとき、ヒトの脳の処理速度は低下する。また、高度のソフトが起動すればするほど、処理速度と平行して出来ることが限られてくる。
また、自律神経をコントロールし、精神を集中させることが出来れば、日頃よりも多くの情報を処理することが出来る。試験や災害時、頭が真っ白になる人と、日頃よりも冴え渡って火事場のくそ力の出る人とがいる。脳内の各部署の連携がスムーズかどうかで、処理速度は変わる。
睡眠不足や腹が減ると、処理速度が早くなる場合と鈍る場合とがある。脳に血液がいきわたり、酸素や糖分がゆきわたっていると、寝不足や空腹に関係なく処理が早くなるばかりでなく、消化するための血液が減り、頭に血が上るのではないか。過度の睡眠不足は、記憶の欠落や同時進行処理を妨げる。また、長期間の低血糖も、一時記憶の低下を招く。体脂肪が栄養を蓄えるように、脳内にも酸素や栄養を蓄えるシステムがあるのか?
脳の前頭葉は、多くの人格で成り立っている。小さいときに使用したわがままな人格、群れる少年時代、孤独な青年時代、そして、成人した後の職業や使用する言語、話し方により、多くの人格が立体的に重なり合って機能している。多くの人は、その人格の記憶が統合されており、会話や行動の端々で、様々な人格が見え隠れしている。
また、運動選手になりきったつもりになると思わぬ好プレーが出来たり、歌手になりきったつもりで歌うと、感情のこもった歌唱力が再現できることもある。人は、自分のキャラクターを意図的に選びながら生活している。そのとき、過去に出会った人物の話し方や行動パターンを伴奏として、それにあわせて再現させることで行動を補正している。
会話や行動は、リズムであり音程や強弱のパターン記憶である。
同年代の多くの会話パターンや行動パターンが詰め込まれている人ほど、未経験の出来事に対応できる、つまり、人間が歳をとる、行動が大人になるというのは、会話や行動パターンの蓄積量に比例している。これは頭の回転の速さとは直接は関係がなく、人生経験の長さといえるが、より速やかに取り出せる人ほど、会話が豊かでコミュニケーション能力が高いと言える。
脳内の記憶を取り出すとき、ヒトは「自分の声の音色の記憶」を再生させて、単語を取り出している。脳内に散らばる記憶を拾い集めながら文章を組み立てるとき、自分の話し方に組み替えて再生させている。他人の声でも出来るが、処理速度が落ちたり、思考が他人になる。英語で考えると英語の性格、標準語で考えると標準語の性格の人物となる。幼児語で再現して子どもに話しかけると、甘えた幼児的発想となり、よく、恋人同士などで会話される。老人の言葉遣いで再現して話しかけると、説教臭くなったりもする。人は年少者に叱るとき、叱る相手よりも年齢の高い人の話し方や立ち居ぶる舞いで箔をつける。スラングや暴力映画で得た単語を再現すると、荒っぽい性格のぞんざいなものの言い方となる。よって、自分の音色で自分の話し方で再現できなければ、その人なりの思考と言うものが成り立たない。抽象思考は、その人の母語でしかも本来の音色やキャラクターで最大限発揮される。男性は男らしい話し方と口調で再現できなければ、抽象思考ができない。そして、男言葉は意思疎通に誤解の生じにくく、歯切れよく、無駄の無い、抽象思考に向いた話し方である。研究やビジネスに向いた、よろいを着た話し方である。
一方、子どもや恋人に話しかける言葉は、女性らしい、やさしく、ゆっくりとした、抑揚のある、主観的な話し方である。家庭やプライベートな相談に向いた、腹を割った話し方である。
記憶と音色は密接であり、他人の口調を思い出すときは、その人の声色とよく使う言い回しや単語と結びついている。つまり、マナーを思い出すとき、小さい頃の両親の叱る声が再現されたり、中学校の数学の内容を思い出すと中学校の数学の先生の口調が再現されたりしている。学生時代に学んだことは学生時代の口調や音声で記憶されており、自分で取り出すときもその音色の音声で響いている。そして、記憶には複数のタグがつけられており、インターネットの検索のように、「彼女について思い出せ」と言うタグで、過去に付き合った女性がつぎつぎとピックアップされるような時間と空間を越えた記憶再生法もあれば、その彼女に付随して、一緒に見た映画や音楽などが思い出される芋づる式の記憶再生法もある。暗記上手な人は、タグのネーミングのつけ方と、芋づるの結び付け方がうまい。
そして、人間は長く生きるほど、似たような言葉を再利用する。例えば、「紙」という単語の記憶量は小さい。しかし、トイレで思い出せばトイレットペーパー、電話やスーパーではメモと、場所と共に記憶すれば意味は多様となる。読書時にはしおりをはさめ、パソコン時にはプリンターに入れておけという動作の指示、あるいは「何月何日にだれそれに書類を渡す」と言う複雑な内容を「紙」の一文字で記憶することも可能である。そして、こういった複雑な意味を伴う記憶は、人間、一人一人によって異なり、他人にはまねのできない記憶再生法となる。こればかりは、どんなに科学が発達して、脳波から思考が読み取れるようになっても、他人の心を完全に覗くことができない理由の一つである。
『ペルセポリス”Persepolis” Marjane Satrapi』(園田恵子訳)を読み返す
『ペルセポリス”Persepolis” Marjane Satrapi』(園田恵子訳)を読み返す。
イランもタイや日本と同様、アジアの中では欧米の植民地地図の緩衝国として、独立を保ってきた。
イランはイギリスなど、石油資源に進出してきた国からの干渉を避けようとして、米英の反感を買い、石油輸出を妨害されるなどの経済封鎖を受け、1979年の革命より王制が廃止され、現在のイスラムシーア派が民族主義路線を継承しているという。
タイが、小乗仏教を広め、西暦でない佛歴で独自の文化発展を遂げてきたのと、日本が天皇制を続け、神道と大乗仏教などを明治以降軸に独自の文化発展を遂げてきたのと、同様であるが、イランの方がかなり早く西洋化を遂げていたのに対し、今ではタイや日本のほうが西洋化が進んでいるかのように報じられている。
当時から、オイルショックなど、石油はゆくゆく枯渇する、代替エネルギーの開発といいつつ、日本はそのまま自動車社会を加速させ、発電は原子力へと路線を変えていった。米英が必死になって石油の利権を守ろうとしたのは、30年後、40年後の石油価格の高騰を見越してであろう。油田があるというだけで、中東の方が欧米よりも発言力が増すことを恐れた。その頃の日本は、50年後、100年後の日本像をどう描き、努力してきたのだろうか。
アルプスの少女ハイジならぬ、イランの少女マルジと副題の付いた、「ペルセポリス」、主人公マルジは2011年現在41~42歳。10歳の時に革命を体験し、14歳でオーストリアのウィーンに留学する話である。というのも、彼女もまた、ウィーンと言うとハイジのような女性がいるような牧歌的なイメージを抱いていた、20世紀になって、これほど世界中にカメラが持ち込まれていても、写されているのはその国らしい意図された映像であり、取捨選択された古典的イメージなのか。
18歳のマルジが帰国して聞いた第3次中東戦争の話は、同級生が戦場に送られるなど、バブルに沸く日本と対照的である。しかし、彼女はマイケルジャクソンを聞き、欧米文化を愛する現代女性でもある。
改めてペルセポリスを読み返すと、あの、日本の1980年代の繁栄はなんであったのか。朝鮮半島を、ベトナムを、中東を踏み台にして稼いだ豊かさであったのか。あの頃の日本には、イランやタイからの多くの出稼ぎ労働者が来ていたはずだ。しかも、そこそこの学歴や経歴の人が、建設現場や歓楽街で、「肉体労働」に励んでいたはずである。
日本の大卒の若者が、中国やインド、タイやイランに出稼ぎに行く日がいづれ来るとすれば、日本の何が問題であったのだろう。
親日的なイランの人々が出迎えてくれた2003年のイラン旅行を思い出す。タイやイランに信頼され、尊敬されていた日本に戻るためには、地球全体の地下資源、農産物、漁獲物を公平にわかちあい、欧米ともアジア、ラテンアメリカ、アフリカ諸国と文化を尊重しあう関係を、あらためて歴史を振り返り、改めるべきところは改める必要があると思う。
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