進化論再考のエッセー
『パンダの親指』by Stephen Jay Gouldを読み返す
「教師というものは……自分の影響がどこまでおよぶかを知ることは決してできない。ヘンリー・アダムス」
「発生生物学は、分子遺伝学と自然史とを統一的な生命科学へと統合することになるかもしれない。スティーブン・J・グールド」
多細胞生物の胚発生はいつどのように表現するかという、オーケストレーションのタイミングの調整については、単なる遺伝暗号(DNAの三つ組暗号)ではなく、もっとレベルの高い制御が存在するはずであるという。
ダーウィンの進化論を「雌に接近するための雄に同士の競争」および「雌自身による雄の選択」という性淘汰の考え、人間の知能の起源ついて、ウォーレスの反論。
人間の脳の大きさと知能に相関があると唱え、白人男性の優位性に関して、ブローカ言語中枢を発見し「人類学」を確立した医学者ブローカ。同じく医者であり、障害児の学校の校長であったモンテッソーリも、児童の脳の大きさと知能とに相姦が有ると考えていた。フランスの動物学者であり化石による比較解剖学から「古生物学」を確立したキュビエ男爵の脳の大きさの話。
21番目の染色体が3本ある症候群を発見したダウン博士が、アジア人のような白痴として「蒙古白痴」と蔑視した時代背景。犯罪者や知的障害者を進化の退行、「先祖がえり」「発育停止」ととらえていた時代でありの化石人類、「下等」人種の正常な成人、白人の子ども、「先祖がえり」「発育停止」をした不幸な白人男性の4つに、関連があるとダウン博士が間違った洞察を行ったことによる。
恐竜は脳の大きさの割りに、温血で機敏に動いていたという説は、今日では普通に見られるが、1980年の出版当時には画期的な意見であった。水の浮力の中でのそのそ動いていたのではなく、尻尾を持ち上げ、首を絡めあい、地面を駆け回っていたという挿絵は、ジュラシックパークなど後の映画に影響を与えたのだろうか。
また、有袋類が有胎盤類に劣るという説に対しても、たまたま、有胎盤類のほうが激しい競争にもまれてきただけであり、北半球に有袋類、南半球に有胎盤類がいたならば、有袋類の方が勝っていたかもしれないという。
人類も、たまたま白人が北半球にいただけで、北半球にもともと有色人種、アフリカ南部とオーストラリアと南米にもともと白人がいたなら、ヨーロッパとアメリカで栄えたのは有色人種で、白人がアフリカから奴隷としてつれて来られていたのかもしれない。
弥生人の方が日本列島でのんびりと暮らし、大陸でもまれたたくましい体格の縄文人が農耕と共に日本列島にやってきていたなら、弥生人が山間部においやられ、平野で政権を握ったのは縄文人であったかもしれない。
「われわれは生存機械―遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械―なのだ」と著書で述べた、ドーキンスの『利己的な遺伝子』。物質を原子よりも小さい単位で考える世界から、生物の個体、さらに生態系や宇宙まで拡大する階層構造でいえば、ドーキンスは生命の進化を、いままで着目されてこなかった遺伝子という小さなレベルについて考え、遺伝子を人間や国家のようにたとえて説明しているという。そうでなければ、自分の繁殖を犠牲にする、「一見、利他的な行動」は説明できないという。
スティーブン・J・グールドは「多数の遺伝子たちが議員総会を開き、同盟を結び、条約に加盟するチャンスを狙い、(これから)起こりそうな状況を予測するのだ」とドーキンスの考え方をたとえている。
しかし、分子レベルの物理的な単純な現象のみで考えられるのかと疑問を持っている。しかも、ドーキンスも本当は分かっていてあえて遺伝子にのみ着目して説明しているのではとことわっている。
小さな遺伝子はいつもいつも淘汰という検閲を受けるために表面に現れるとは限らず、検閲を受けない部分もあるのではないかといっている。生物体は遺伝子によって作られた様々な部分が、協同して複雑な相互作用をし、環境から長年にわたって影響を受けるという歴史を経ているという。
私たちは、遺伝子が万能でないことをしっており、たとえクローンでも環境や経験によってまったく同一の生命体に成長しないことをもはや体感的に知っているのである。
検閲を受けない遺伝子が残る偶然性(遺伝的浮動)について、木村の中立説のことをいおうとしているのかもしれない。
かつて、生命は動物と植物という2つに分けられていた。それは世の中の人間は男性と女性の2つしかないというくらい明らかなものとされていた。
生物学が動物でもなく植物でもない、第三の生物菌類が存在する、あるいは原生生物、原核生物を加えた五界説などという頃、社会的には白人男性のグループとその他のグループというおおきな2択が揺らいでいる時期であった。
白人女性、白人の子ども、化石人類、下等人種の正常な成人、先祖がえりや発育停止をおこなった不幸な白人男性の中から、白人女性や有色人種の人権という問題が浮上、さらに障害者の人権やネアンデルタール人がいかに現生人類に近いかという化石人類の人権問題まで浮上してきた。
こうやってつきつめていくと、生命の尊さ、生命の分類、人間社会における生命の区別というものが、いかに人間の主観であり、「科学的に正しく分ける」ということが、「平等に扱うこと」や「正しく扱うこと」とに決してつながらないことを示している。
ハレー彗星を発見したイギリスの天文学者ハレーは、地球の自転は年々遅くなっていることを発見した。ドイツの哲学者カントは、月の引力による潮汐摩擦が、地球の自転をおそくしていると主張し、天文学者のジャストローとトンプソンは潮汐摩擦は「回収できるものなら全世界の必要量の何倍もの電力を供給するだろう。しかし、沿岸部の海水をかき回し、地殻の岩石の温度を上昇させるだけで消えていく」という。さらに、サンゴやオームガイのからには、一日の潮汐による縞模様が年輪のごとく記録されているという。水中をを毎日上下するだけで縞ができるなら、確かに津波による海水のかき回しも、貝に記録されるに違いない。貝の化石に過去の津波のあとが発見される日も近いのかもしれない。
月は現在は30日で地球の周囲を公転するが、貝の化石によると4億2千万年前には一日が21時間で、そのうち月はたった9日で公転していたのではという。3億五千万年前に一月27日という説もあるが、その頃の生物は時間の流れを今とは違って感じていたことには舞がいないだろう。そして、クレーターのはっきり見える巨大な月が、地平線や水平線から昇ってきて、その体内に与える影響も今より大きかったことだろう。
細胞の感じる発生分化の時計、生物の持つ体内時計、体の大きさと寿命の相関を考えると、人間の時間の体感のなぞが、やがて解明されていくに違いない。
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