TPP。
海外でもまれた企業が自由に日本で活動するということ。
離島の固有種が外来種と出会ったときに生じること。
オーストラリアの有袋類が、ヤンバルクイナが、イリオモテヤマネコが、
有能なハンターであるイヌやネコと出会うということ、競争するということ。
侵入が緩やかであれば、敵からの身のかわし方や新たな適応へと固有種が進化し、共存できる。
しかし、急激に競争に巻き込まれたとき、敗れるのは固有種の方である。
日本だけでも南北で広く、北海道は広い大規模農業の強みがあるが、サトウキビは作れない。
沖縄は北海道と同じジャガイモや米も作れた上、サトウキビも作ることが出来る。
農業は温暖な地域の方が有利であり、大規模農業のほうが有利であるが、
地域の特性があるために両方を兼ね備えることは出来ない。
日本国内で、すべての産業を分業で上手く回せない物を、
県内だけで、すべての産業を地域ごとに分業できないものを、
世界レベルで調整無しに果たして可能であろうか。
どんなすばらしいシステムも、急激な導入は、ダメージが大きい。
自由化を念頭に大規模化した農業が、すでに輸入に押されて弱っている。
日本の産業という在来固有種を、「とき」のように過去の物にしてはいけない。
アジアの企業が日本の企業にとってかわり、外資系の企業に勤めることになるのか。
国際化は、喜ばしいことだと思っている。
様々な国籍の人が共に働く社会の方が、健全である。
国際化というのは、メートル法を共有するように、同じ物差しで取引し、契約していくことであるなら、
まだまだ日本には海外共通のルールで勝負するための努力が、
改革が、町工場レベルから、小さな商店レベルから、必要であろう。
IT化は用紙の無駄を省き、国際化のためであったが、道具にまだフリマさわれている。
まず、日本がすべきは、不必要に大きな機器やシステムを簡素化し、安く小回りがきく、
日本のきめ細やかな良さを見直す改革に戻るべきであろう。
そして、有能な人を、能力が発揮できるように使いこなす。
貴重な人材を浪費しないようにする、そういった地味な努力をもっと続けるべきではないか。
そうすれば、海外の企業と適材適所、棲み分け、共存することも固有種であっても可能である。
日本を「とき」にしてはならない。
Today's suggestion2 今日の提言シリーズ2
教育や科学、生物学の視点から、都市計画、政治、経済、災害などについてコメント。
2011年11月24日木曜日
2011年8月8日月曜日
『西洋古代史論集ⅠⅡ』財団法人古代学協議会編
ブログの本棚『西洋古代史論集ⅠⅡ』財団法人古代学協議会編
「民主主義」democraticの語源はギリシャ語であった。
神話と政治について、ギリシャ人の民主政観、そして発掘におけるさまざまな注意点について書かれているのが興味深い本である。
アリストテレスの政治観は、全ギリシャ人を代表したものではなく、たまたま有産階級であった彼の一意見が後世に残っているに過ぎない。
当時のギリシャ人の民主政観には、おおまかに3つあったという。アリストテレスらが唱える寡頭主義。有産階級が主権の(この本によるとソヴィエト的民主主義?)demotic
それから、democraticの語源であるデーモスを基にした、市民全体が主権の国制の「多数決方式」政治と、貧困市民が主権の国制(この本によるとプロレタリアート独裁、マルクス主義理論に近い?)の政治の2つ。
著者らによると、実際のところ普通の貧しいギリシャ人は、自分たちの選んだ上層階級の人々によってほどよく国が運営されていれば満足していたという。ただし、選ばれた責任をきちんと負わなければ、あっさりと独裁者を受け入れたのだと述べている。
うっかりすると我々は、古代の超有名人の一意見、たった一つの埋葬品などで、その時代の全てを判断してしまう。また、現代の価値観に当てはめて評価しがちである。
古代史の研究にかぎらず、外国文化の研究、生物の進化、生物の生態についての研究では、現代日本の文化や風習のバイアスが邪魔になる。
古代の法律や文化を調査する人も、現代の政治や科学を語るときも、あらゆるバイアスを捨てる努力をすべきである。
それは文化や風習を捨てることではない。現代日本の文化や風習の理解を深め、現代人の現在や未来の生活をより暮しやすくするためであることを忘れてはならない。
『西洋古代史論集Ⅰ』はまず、フランスにおける旧石器時代の再検討の論文から始まっている。昔発見された化石は、新発見にあわせて、何度か調査され直しているのだ。
1883年、フランスパリ市郊外にて、当時フランス最古の人間の居住地が発掘され、貝に似た石器によりシェル文化と名づけられた。やがて1958年にヨーロッパ最古(70~80万年前第一氷期ギュンツ頃)の石器時代の化石が洞窟で発見。
1939年にどうも、シェル文化のほうは、古い地層の上に新しい地層が堆積してできたらしいという説。つまり新しい地層のどこからか石器が流れてきたのではないかという説が浮上し、論文の著者がシェル文化の正当性を再評価しているものであった。
地質だけではなく、石器と共に発見される犀や象、カモシカ牛や馬の化石を元に時代を特定し、その地域の隆起や沈降を考慮し、更に火災や地震など、さまざまな要因をかんがえるべきであるという。
発掘における注意点、出土品にとらわれすぎないであるとか、かならずA民族がB民族を滅ぼして文化がすっかりいれかわるという思い込みを捨てるべきであるとか、参考になる話が多かった。
たとえ話が面白い。エジプトで、アメリカ製のガソリン缶を何かに再利用し、スウェーデン製のストーブを使用していたとして、後世、エジプトにアメリカ人が移住した、ラテン語を使用している人々が移住したといっているようなものだ、という。
恐竜は鳥類やホ乳類と共存し、現生人類はネアンデルタール人と共存している。また、始祖鳥やカモノハシのような中間生物も存在する。古代人も、文化の入り混じった中間型が途切れなく存在するかもしれないし、輸入品を愛用しているかもしれないと、いろいろな可能性を考えるべきだという。
『西洋古代史論集Ⅱ』のミケーネ文書にも、ギリシャのミケーネ時代に人名がギリシャ語で出てきたからといってギリシャ語を理解するギリシャ人かどうかわからないといった書かれ方をしている。
例えば、古代大和朝廷には、倭の国の言葉や風習を理解していたかどうかは分からないが、日本風の名前で記される帰化人がたくさん、最新の文化を大陸から持ち込んで活躍していたはずである。その当時、中国には、中国風のニックネームに改められた、インドやペルシャ、西洋人が多数いたはずである。
ヨーロッパの他の書物から知る 古代ローマや古代ギリシャの記述は、当時のヨーロッパの文化や価値観の影響を受けており、間違った解釈も残っている可能性がある。
アテナイ人やスパルタ人は征服した国の自由人男子を虐殺したり、ときには商人や中立のものも殺すこともあったという。周辺国には、騎馬民族もいれば、男女混合の兵士が戦う国もあったときいている。
当時の周辺の歴史を知らず、古代ローマ人などの記述だけを手がかりにしていると、他のギリシャ諸国に比べアテナイ人だけが残忍に思えたり、男性の殺された女性ばかりの国があるという記述を、後世風にゆがめて受けとったり、おもしろおかしい解釈が生じる。
例えば、ギリシャのパンを作る小立像に、後世のヨーロッパ人は、胸の平らな女性である、家事をしている女性の像であると注釈をつけたが、実際は、当時のパン職人は男性の仕事であり男性の像であったという。
ギリシャ語の文献で職業名を見ると、当時の文化がみえてくる。
羊飼いや山羊飼いは一般住民の職業だが、牛追いは賎民の仕事であったり、大工にも石大工、木大工、船大工とわかれ、青銅細工や刃物細工は一般住民であり、その火をおこすのは賎民である。
布の製作、羊の毛刈り、糸紡ぎ、機織り、皮革職人は女性だが、衣装を縫うのは男女の仕事であったなど、時代により、職業の貴賤や男女の役割分担が異なっていることが分かる。
日本の古代の職業から、当時の文化を読み取るとき、江戸時代や明治大正、昭和の価値観をいれないように、気をつけるべきであろう。
邪馬台国はどこか、日本の恐竜の化石発掘ブームの現代。
映画やアニメで興味を触発された世代にも言える。
『図解ギリシャ神話』西東社
ブログの本棚『図解ギリシャ神話』西東社
ギリシャ神話について、漫画にいたるまで参考図書が豊富に掲載されている。
日本人が「ギリシャ神話」といったとき思い浮かべる、地理や歴史、星座や占い、さまざまな断片で入ってきている情報を、きちんと整理整頓してくれる本である。
ギリシャ周辺の原始信仰、自然の人格化(日本で言う八百万の神々)から始まり、アジアの宇宙論もとりいれられ、口述で伝えられて来た。
紀元前20世紀ごろからクレタ文明(ミノア文明)、紀元前15世紀からミュケナイ文明(ミケーネ文明)が栄え、その後、紀元前8世紀ごろにホロメス(盲人の意)ら詩人により文学にまとめられた。
ギリシャ神話というのは、ギリシャ周辺の無数の伝承がこのホロメスらの脚色に加え、古代ローマ人がローマ神話の材料に利用し、さらにキリスト教徒がキリスト教的解釈を加え、女神崇拝の女神を、妖精や魔女、売春婦へと意図的に変化して、日本に伝わっている。
その、伝言ゲームのような、意味が少しずつ変わってきている要素を取り除いていくと、天の岩戸神話と収穫の女神デルメルと娘ペルセポネの伝説、ヘラクレスらが魔物退治にでかけるなど、日本書紀や仏教にでてくる説話に似た、アジア的な話が多く見受けられる。
また、洪水伝説は、旧約聖書、インドの「マツヤ神話」、バビロニアやシュメールの伝説に共通する。
当時のギリシャ人の服装は、布を腰に巻いて肩や頭にたらし、サンダルを履き、ペルシャの壁画やインドの民族衣装に近い。近隣の靴をはいた民族、ターバンや帽子をかぶった民族、うろこ状のよろい(スパンコール)を着た民族、ケンタウロスを彷彿とさせる騎馬民族とは風習が異なっている。そのままの格好で、つまり日本の戦国時代のような鎧兜ではなく、江戸時代の武士のような軽装で近隣と戦っていた節がある。
海や山に住む刺しても刺しても死なない不死身の怪物、化け物の多くは、戦闘時にうろこ状の甲冑を着ており、全身がうろこ状に覆われ蛇のような伸び放題の髪型のメドーゥサのように、「彼らは刺しても死なない不死身」と聞いていたが、実際に捕まえて刺したら死んだので、彼女だけ不死身ではなかったのだろうなどという伝承が残っている。
近隣諸国の紛争、揉め事を解決しに行く怪物退治の一方で、攻めた国を皆殺しにすることも無く、周辺の国の文化を取り入れてきている。ディオニュソスという庶民の神、酒の神は民間信仰の対象として貧民や女性に信仰され、王のように扱われ、各地に果樹の栽培法とワインの作り方を教えて回ったとされている。ティーバイの王がこの新興宗教?のディオニュソス(バッコス)を殺そうと信者を装って祭りに潜入したが、女装がばれて女性信者らに殺されたなどという伝説も残されている(紀元前6世紀エウリピデス著)。
天地創造の神話の後、実際にティタン族という偉大な人物達が国を治めていたが、彼らがオリュンポスの政治グループにアテネから追い出された様子が書かれている。例えば、ティタン人の1人アトラスは、地中海世界の安全を支えるため、うまく言いくるめられて地中海の交通の西の要所、アフリカの西北を収めるために派遣され、そのまま都のアテネに戻れない様にされている。海賊が地中海に侵入しないよう、生涯、警備していたようだ。後にジブラルタル海峡に、モニュメントを立てるため、視察に訪れたヘラクレスに、警備を代わってくれと頼んだが、あまりの大変さに役割を再び担わされたことになっている。
トロイヤを掘ったシュリーマンではないが、もともとは脚色されるまでは、かなり実話に近い物語であったことが伺える。
紀元前8世紀のギリシャの詩人ホメロスは、軍記物であるトロイヤ戦争の話が中心であり、シュリーマンが彼の作品「イリアス」「オデュッセイア」により、探究心を掻き立てられ、遺跡を発掘したことで有名である。
同時代の詩人ヘシオドスは、日本書紀のような神話「神統記」を記し、彼の作品により、ギリシャは天地創造を語った原始の神々の話のほか、5つの時代について記している。
天地創造は旧約聖書に似たところがあり、カオス(空虚、無、空)から夜と闇、昼と光が生じ、ガイア(大地、生きている地球)とウラノス(天空)から多くの神々がうまれている。5つの時代は、ガイアから生まれたクロノスら男神、女神(ティタン神族)の活躍する「黄金の時代」。ゼウスなどオリンポスの神々が活躍する「銀の時代」。まるで“ノアの箱舟伝説”のような大洪水で滅びる「青銅の時代」。そして「英雄の時代」、現代に続く「鉄の時代」となる。
やがて、紀元前6世紀に、イギリスのシェイクスピアのような舞台劇ブームがギリシャに訪れ(実際、シェイクスピアも神話を題材にした物語を書いている)、騎士階級や地主階級、神職の家に生まれた悲劇詩人達が、ペルシャ戦争を元にした話や、テーバイのオイディプス王とその娘らの話を、劇にして上演していた。
紀元前4世紀にはこれらギリシャ神話は、ギリシャをやぶったマケドニアのアレクサンドロス(アレキサンダー)によって世界中に広められた。このときの世界というのは、ギリシャだけではなく、アフリカ大陸のエジプトからペルシャ、東はインドのパンジャブ地方まで伝わったという。
つまり、仏陀の生まれた頃のインドに、すでにギリシャ神話が伝わっていたということであり、そのギリシャ神話は、アレキサンダーの遠征の何百年も前に、アジアの宇宙観も取り込まれていたアジア的な民族神話であったということである。東西の文化交流は、思ったよりも古くから何度も行き来していたと思われる。
その後、ローマ時代にギリシャの民主政や哲学などの文化が、神話と共に輸入され、ローマ帝国の拡大と共に世界に再び広まって行った。この、ローマ神話では、更に娯楽性のあるストーリーへと脚色されている。
人間を、皇帝を神格化し、神は人間の姿をしているのが当然という、価値観を持つローマ人にとって、多神教によくある“自然の神格化”や“動物の姿をする神”というのは理解しがたく、逆に「御伽噺」のようなものであったことだろう。人間を神様が動物に変えてしまうという、変身物が、この頃のローマで流行る。
また、ローマ周辺諸国の伝承を集め、ギリシャ神話のストーリーに置き換えることが始まったが、同じ太陽の神、美の女神などといっても、ギリシャとローマではキャラクターが異なっていた。それも、ストーリーを変える事でつじつまを合わせていたという。
そのヘレニズム文化は、14世紀以降のヨーロッパで、ルネッサンス運動として復興を遂げた。
私たちがよく耳にするギリシャ・ローマ神話は、子どもの本棚に並べられるようなファンタジー、星座の名前で星占いに登場するようになってしまっている。しかし一方で、ラテン語を学んだヨーロッパの学者は、ギリシャやローマのことわざや出来事を、日本人が漢文のことわざを引用するかのように、盛んに用いてきた。
西洋の哲学者や精神医学博士が、研究内容を当時普遍的な、神話の登場人物や出来事にたとえるなどし、その用語と用法は現代の思想にまだまだ影響を与えている。
マイケル・マクローン著の「ギリシャ・ローマ神話」では、ラテン語からどのように英語に取り入れられ、意味が変わってきているか解説されている。
もともと、農耕の神が商売の神となり、まるで七福神の恵比寿、大黒神のように民間で敬われ、新しいストーリーが付け加えられてきている。
本来は何も無い深い穴、空虚の意(インド仏教の空か?)が、キリスト教やトーマス・ホッグズの「リヴァイアサン」などの影響にて、混沌やアナーキーといった別の意味が加わり、本来の使われ方をしないまま英語圏で一人歩きしている。オリンピックにいたっては、オリンピアの神々のゲーム、荘厳な超然とした競技会というニュアンスから、「オリンピック」という世界大会を意味する固有名詞の競技大会のように使用されている。
ちなみに、この『図解ギリシャ神話』では、ゲーム機のサターンの由来や、聖闘士星矢の漫画もギリシャ神話の関連図書として紹介されている。
2011年7月27日水曜日
教育、医療、市町村のあり方について共有する大切さ
教育、医療、市町村のあり方について共有する大切さ
小さい頃から、折に触れて、どんな学校が望ましいか、どんな病院が望ましいか、そして町はどうあるべきか、考え、意見を交わす習慣が望ましい。
医療ならば、多くの人が受診し、家族に付き添うことで一生係わることが多い。しかし、教育は、その年代の子どもを持たなければかかわることがない。また、高度成長期に、忙しさのあまり、係わりたくとも保護者としてほとんど係われなかった人々も多い。また、戦前教育を受けたまま、独身で過ごす人々、偏差値教育を受けたまま、独身で過ごす人々の多くは、今の学校がどんな状況で、どんな先生や子ども達がいて、どのような教育が望まれているか、考える機会や触れる機会が少ない。
しかし、子ども達はその「教育について考えたことも無い」人々により、地域社会で再教育を受けて学校に戻されている。
学校に地域や家庭の連体を叫ばれているのは、なにか共同事業を行うためだけではなく、家庭のおかれている状況とその役割、学校、および企業や共同体の現状が、共有されにくい現代において、今、学校はどういう意図でどのような教育が行われているか、発信しなければ、受け取り側が欲しい情報を得られない。戦後、偏差値教育やゆとり教育を経て、個性を伸ばす教育があげられているが、具体的にどんなことがなされているのか、戦前世代や偏差値世代、独身の人々にはなかなか理解が難しい。
病院も、医師の専門性は高まり、患者のニーズが多様化している。患者側は、医師がどのような意図でどのような治療をしようとしているのか、的確な質問がしにくい。というのも、その病気にかかるのは生まれて初めてで予備知識の無い場合、何を聴いていいのか、聴くべきことが見えてこないこと、他の患者や他の医師との比較をするほどの知識がないことなどがあげられる。
スーパーや病院によっては、利用者の要望を紙に書いてもらい、改善に役立てているところもある。そして、その要望書を掲示、皆で閲覧できるようにしているところもある。その利点は、同じように利用していると思っていながら、実は、こんなことを考えている人もいるのだということを、同じ利用者も考える機会を作ることである。こういったサービスは、こういう苦情によるものであるのか。自分が不要なことに対して、不信感を抱いていた利用者が、サービス提供側の意図を汲み取り、トラブル無く、要る、要らないの意思表示を行うことができる。このことは、教育にもありえることであろう。実は、過剰サービスにうんざりしている保護者も多い半面、本当に必要な情報やサービスがないと、不満や不審を抱いている場合が多い。その、発信の仕方によっては、互いの誤解を招くことも多々ある。
話を戻すが、学校や病院、地域のあり方というのを、いきなり大人に成って質問しても、その人が答えられる範囲は、極限られている。自分の知っている範囲で、しかも自分に係わる損得の部分でしか語ることができない。しかし、小さな頃から折に触れて、勉強するということ、治療をするということ、町並みやその整備、サービスについていろいろ考えておく、そして、友人や家族、いろいろな世代と意見を交わす経験があれば、一般論として、こうあるべきではないかという全体像が、おのおのにつかめてくる。どうあるべきか、意見を持った人が集まってこそ、集会を開いたときに前向きな意見がかわされる。
サッカーでたとえよう。テレビでサッカーが報道されなかった頃、小学校の体育で、あるいは地域のサッカースクールで子どもを集めても、サッカーらしい競技になるまでにかなりの練習が必要であった。しかし、今では、サッカー初心者の子どもでも、なんとなくサッカーらしい形になる。それは、小さい頃から家族でサッカーを観戦し、運動能力に係わらず、キーパーはこう動く、フォーメーションについての予備知識が蓄積されている。ポジションはどこがいいかと聞いたときに、鮮明なイメージ画像と自己を重ねることができる。今、教育や医療、地域のあり方について、こういった鮮明なイメージ画像を共有しにくい。
サッカーでさまざまな戦術があるように、教育にも、いろいろな戦い方があり、街のあり方も、さまざまな考え方がある。その細かいことはさておいて、何の目的で集まり、何を優先すべきかといった、おおまかなことを共有することは大切であろう。点を取ることが最優先にすべきか。入試直前ならば、どの学校にも望まれることであろう。多くの人がボールに触れることを優先すべきか。それは、優秀なプレーヤーであっても、基礎練習は欠かせないであろうし、レベルの低いプレーヤーならば、意図的に多くのボールに触れる機会を与える練習が必要であろう。こんな具合に、目的を共有し、それによって戦術を選ぶように学校や病院、町を選んで利用する。住む。そういう時代がきている。
2011年7月23日土曜日
『ローマ帝国衰亡史』ギボン著中野好夫訳
故インドの首相、ネルーも夢中になってこの本を獄中で読んだという。歴史家ばかりではなく、、政治家や外交官も、熟読、愛好している。アメリカの外交理論家ジョージケナン氏にいたっては、第二次世界大戦後の国際問題に直面したとき、問題処理の知恵をこの本よりしばしば得ていたという。
著者ギボンは1737年イギリス生まれで、オックスフォード大学を中退し、ローザンヌやパリ、ローマにてこの本を執筆したという。イギリスの下院議員であり、刊行の翌年にフランス革命が起こったことは、決して偶然ではないだろう。
ローマ帝国は、紀元前6世紀ごろから4世紀まで、さらに神聖ローマ帝国を含めれば、現在のウィーンのハプスブルグ家に至るまで、長きにわたって繁栄している。
中国の殷、エジプトやメソポタミアのアッシリアの繁栄の後、ギリシャやペルシャアケメネス朝に続いて、エジプトのプトレマイオス朝やインドマウリヤ朝と共に「共和制ローマ」が栄え、さらにインドクシャーナ朝や後漢のころ、「帝政ローマ」が続く。
ローマの成功は、現代社会のあり方に、教訓を残している。
ローマ帝政のよき時代の引継ぎでは、まるでバトンや襷リレーのように、速度を落とさず、同じ向きに併走しながら受け継いでいる美しさがある。前任の重用した人物をそのまま重んじ、安易に性急すぎる改革を行わず、的確な法律や政策を速やかにたてている。皇帝もまた学び続け、家臣の模範となる講義や実演を行い、耳の痛い忠言をする家臣や両親がいる。また、共に政治を行う仲間や後輩がいる。
現代日本の、あらゆる団体のあり方や引継ぎに参考になる。
①いくつかの軍紀、訓練を課し、国への忠誠の強化によって、誰が後継者になっても、強力な軍隊に規律が守られるようにした。つまり、軍隊に「絶対服従」を強いるのは、最強の軍隊が自制心を持ち、政府に逆らって暴走しないためである。
②強力な軍隊を動かし、権力を持つものは、むやみに国境線を侵してはならない。軍隊は平和の維持のため、隣国の平和を守り、紛争の仲裁のためにつかう。安易な領土拡大を戒めている。
③権力は、国民のためにこれを行使しなければならない。
④最強の軍隊や権力を持つものは高貴な徳を備え、自分に厳しく他人の罪に寛容な哲学を学ばねばならない。
⑤身内にふさわしいものがいなければ、世襲にこだわらず、有能な人材を養子にし、引継ぎを大切にする。
しかし、2つ注意点がある。当時の時代背景と現代との違い、中世の時代背景による色眼鏡の解釈の是正である。
ひとつは、中世のキリスト教の道徳からすれば、女帝や皇后の統治や、バイセクシュアルなどは、とても帝王学として許せるものではなかった。悪帝とよばれる人物の中には、単にキリスト教の道徳から外れている、あるいは直後のクーデター犯に汚名を着せられているに過ぎない人物もいる。
また、現代のような、「人類は遺伝的に平等」であり、「自国民のみが優秀民族である」、あるいは「奴隷や農奴を容認する」といった当時の人権感覚を、ローマ史より学んでは、時代に退行する。
また、現代兵器は、当時のような弓矢の時代では、もやはない。人類を皆殺しにするような強大な軍事力を持っている。国家間のトラブルは、ローマ時代のように武力ではなく、話し合いで解決しなければ、命がいくつあっても、地球が何個あっても足りない。
それらを差っぴいて読めば、かなり現代人にも通じる教訓を与えている。
西洋もまた、原始古代は、神イコール自然。可視物全てを礼拝の対象とするアニミズムの多神教であり、母系社会であり、古代日本と同様、政治をつかさどる「巫女」がいた。左脳の理性よりも右脳の感性を大切にする世界が存在した。そこに、ゲルマニアなど、騎士道を重んじる武士社会が生まれた。多産で貞淑な妻の意見を重んじ、質実剛健なイギリスやドイツの原型となる社会である。やがて、中央集権で皇帝を神とする一神教の国ができ、その一つが地中海を中心とする古代ローマ帝国であった。ラテンの女性はより美しくきらびやかに着飾り、政略結婚の対象となり、政治は男性の手にゆだねられた。
現代の議会政治や農業、手工業、科学など、さまざまな学問の基礎が、ローマ時代に築かれた。それはまた、平和を愛し、他国の人材や文化を登用してきたからである。エジプト、カルタゴ(フェニキア人、現アルジェリア国チュニジア国)、フェズ(マウレタニア、現モロッコ国)、フェニキア(現シリア)、パレスチナ、パルティア(現イラン国)、カッパドキア国、アシア、ゲルマニア(現ドイツ)、ガリア(現フランス)、ヒスパニア(現スペイン、ポルトガル)、ブリタニア(現イングランド)など、周辺民族のよき文化を取り入れている。
ギボンの本は、その時代に望まれるべくして生まれた。共和制や帝政の試行錯誤の時代であり、キリスト教中心の中世から、ギリシャローマに倣い、近代化をとげるときであった。そして、書物が民衆に普及し始めたときであった。
1215年イギリスのマグナカルタ(大憲章)以降、貴族が議会制を望むようになった。時代は、ロマネスク建築(半円アーチ)、ゴシック建築(尖塔アーチ)が好まれ、ローマ法の研究が進んでいた。
やがて、英仏の100年戦争、イギリスのばら戦争、イタリア戦争と、ヨーロッパで戦争が続いた。イタリアで、ギリシャローマ時代を再生する「ルネッサンス」が花開いた頃である。ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロら美術の巨匠が活躍し、ブルーノやケプラー、ガリレイといった科学者がヒューマニズム思想に押されて科学を発展させた。
絶対王政の権力象徴として、豪奢なバロック建築が風靡し、ドイツの三十年戦争、イギリスでクロムウェルらが共和制を樹立する「ピューリタン革命」にいたった。
科学は万有引力のニュートン、植物学で「種の分類」のリンネ、化学で断頭台に消えたラボワジエ、予防接種のジェンナーと近代科学を築き、三権分立を唱えたモンテスキューや国民主権を説いたルソー、商業よりも農業を重んじた経済学者ケネーが民衆を啓蒙していった。
フランスではナポレオンボナパルトが皇帝となり、オーストリアに神聖ローマ帝国を受け継ぐハプスブルグ家のマリアテレジアが女帝となった期間に、ギボンはヨーロッパにて執筆を始めている。まだ、ヨーロッパにキリスト教色が強く、しかも帝政がブームの時代に、反キリスト教思想をも一部盛り込んだ『ローマ帝国の滅亡』を書いているのである。
紀元前の共和制ローマがくずれた理由も、バブル前後の日本のようである。多くの外国人労働者の参入、安い外国の穀物の流入、そして、農民が離農し、無産市民化してゆく。成金の市民が財力から政治や会社運営に参加し、哲学を欠いた、自己中心の経営や政治を行っていく。哲学を学んだ皇帝が力を振るえば、たとえ独裁でも市民の生活が豊かになり、たとえ民主的な話し合いで政治を決めても、自己の利権を優先する政治家が集まっていては国民が苦しむ。飢饉の年には、属国ばかりではなく、ローマ市民でさえ、毎日2千人が餓死したという。
日本の1億人の中から、優秀なスポーツ選手を育てた方が、よき日本代表が形成されるように、1億人の中から出生や経済力に係わらず、政治家や大会社の幹部が育成されるべきである。しかし、それには、道徳、哲学を幼少から学ぶ義務教育の体制が不可欠である。自分に厳しく、他人の罪に寛容な五賢帝にこそ、現代人は学ぶことが多いのではないか。一個人がやれることは知れているが、多くの歴史を学ぶことで少ない経験を補うことができる。若者こそ、多くの歴史や哲学を学び、若くして実践できる機会を与えてやって欲しい。
また、西洋共通の歴史書を著したのギボンのように、東洋共通の歴史を描く歴史家が現れて欲しい。西アジアから東アジアまで、古代から近代に至るまで、西洋や東洋の文献をあたって、アジア人共通の歴史観を育てるような図書が望まれる。アジア史から見た日本史、アジア史から見たヨーロッパやアフリカを、未来の子ども達に学ばせてやってほしい。
2011年7月3日日曜日
新しい理科の授業について2冊
新しい理科の授業について2冊
『理科の先生のための新しい評価方法入門』R.ドラン、F.チャン、P.タミル、C.レンハード著。
現在の公教育のあり方は、産業革命時代に新しい工業製品の組み立てライン、工程の規格化が導入され、それが、教育に取り入れられたのが起源である。
教育器具を操作する組み立て工である教師が、親方である校長の厳格な規則の下で、型にはまったことを身につける。その結果だけを重視し、指導過程での努力には価値を認めない。
アメリカは教育システムを構造主義へとシフト転換した。「グローバル社会にて、世界に果敢に挑戦していくような生徒を育て、問題解決および対人関係の技能を身につけ発達させる」よう、教育改革を行った。
科学は、「観察、推論、実験というような技能を学ぶプロセス」として、であり、分析的な思考力を身につけ「人生において、たとえどんな複雑な状況にあっても、問題解決ができることを指している」。
筆記テスト(正誤問題や多肢選択問題)以外の新しい評価方法について、開発すべきであると、この本は提案している。
全ての生徒に、分け隔てなく、教育的な、そして信頼性・妥当性のある情報を提供するため、学習内容にあった、手順・器具・課題を開発し、いろいろなデータを入手する。
また、課題評価は、生徒達の実態に合わせて、柔軟に修正できることが必要であり、学習スタイルや言語能力(帰国子女、移民、学習障害)の違いに配慮しながら、その知識や技能を評価するために、課題を自在に修正できることが必要である。
目的や技能を鋭く絞った評価と、広範な能力を評価するものの2通りに分類できる。評価はまた、今までどおりの筆記も併用するのか、実験のみであるのか、課題は数週間かけて行うのか、一人又はグループで行うのかを決める。正しい評価方法というのが、ただ一つということはあり得ない。よって、評価の開発者自身が、よりよいものになるよう、常に評価のシステムを修正すべきである。
この後、具体的な評価方法や実験方法が、小学校から高校まで、物理化学生物地学ごとに例示されている。
生物分野の例 「クロマトグラフィー」「細胞の大きさ(玉ねぎを使った光学顕微鏡の観察実験)」「ヨウ素液」「脈拍を調べる」「自然選択(種を人為的につまむ)」「二分法」など
『ファーンズワース教授の講義ノート―ゆかいな生物学』鈴木光太郎
アメリカの大学での講義の様子が、楽しく描かれている。大学生が生物学の講義の参考にするのはもちろん、高校生や社会人、教員が学ぶのに参考になる図書である。
教授によると、一般教養の生物学とは、「医者や科学者など、将来科学を専門にする学生、個人として、一般市民として生物に興味のある学生」向けであるとし、上級コースに備えて基礎的知識を身につけなければならないが、建物より、生物教育という土台のほうが堅固でなくてはならない。」……「よい医者であるということは、単に器官の名前を暗記していることだけではない。物事を自分で考えられるということだ。生物100では、君たちに考えさせる。今、世界では単に規則や指示に従うのではなく、自分で理屈を考え出せる優れた科学者、技術者が必要とされている。そしてメディアや政治家の慈悲に頼る必要もなく、自分たちで情報に基づいた選択のできる、賢い市民も必要とされているのだ。」……「他人のアイデアや研究を盗んだら、その人の将来を奪い取ることになる。」
教授は、始めに講義の攻略法をきちんと説明する。ノートとは、教授の話を急いでメモし、後で調べるための必需品であり、聞き逃すと予習復習ができないということが、読んでいると良く分かる。あまりに厖大な説明、一度聞いただけでは理解しにくい多くの情報が盛り込まれており、メモを後で解読する謎解きのような楽しみがある。これが、受講生を増やしている秘訣であろう。
ノートは、ゆくゆくはテスト直前にきちんときれいに清書するにしろ、授業中は先生の言うことを走り書きでメモするためにある。生徒は、自分で今後必要な事項かどうか、取捨選択、判別することができない。そのことを、もう一度小中学校から考え直すべきであろう。マーカーや色ペンでデコりながら、自分の力で考えつつ授業内容をまとめるという、一番楽しい作業を、学校の先生が手取り足取り行い、奪い取っている気がする。
板書のような「要点がきれいに羅列された教科書」、「それを膨らませた指導案のような説明の教科書」であるなら、確かにそれを後で清書させるのも正しい。生徒に国語力があるなら、教科書というものは、参考書や解説書のような、自習独学のためのものであるべきで、授業は国語力のない生徒にも分かるように、あるいはさらに興味関心のある生徒に自ら調べさせるために、行われるのであろう。
また、学校の勉強は、テストのためではなく、社会に出てどんな役に立つためか、教授は説明している。テストとは、自分が何を学び足りないか、また、教師が何を教えたりないか確認する場である。教師は、巣立った生徒に将来治療を受けるかも知れず、役場で手続きや、保険やなんら世話になるかもしれない。その生徒の子ども達がまた、教師の生徒となり、かつての生徒が保護者として再会するのは間違いない。
教授はまた、褒めたり叱ったり、おだてたりおどしたり、やる気を出させながら、一方で生意気な学生になめられないようにきちんとしめてかかっている。初日はスーツでありながら、翌日はバイクで乗り付けたり、アラブ人やドラキュラ伯爵の仮装は、単に授業を退屈させないために、教授は仮装しているのではなく、かしこまった大学教授には聞きにくいと思う質問、例えば、生き物とは何か、という当たり前すぎて間違ったときに恥を掻きたくないような質問、あるいはペニスや膣といった用語について、オフィシャルなところでは恥ずかしく質問しづらい状況を、「仮装空間」により改善するためであると思われる。
教師とはこうあるべきだ、服装や立ち位ぶる舞いに付いて、固定観念を打ち砕いてくれることだろう。
最後の「生物100」秋学期期末テストは、前述の『理科の先生のための新しい評価方法入門』の新しい選択問題、正誤問題の例として、いかがなものであろうか?
人や動物の知覚について
人や動物の知覚について
『動物たちの心の世界』マリアン・S・ドーキンズ
意識とは何か。リラックスした時の方が無意識にすらすらとうまくいくことが、緊張して、次はどうするのかと意識したとたんにミスをすることがある。よく知っていることや予測可能なことは、無意識の方が優れ、新しい状況や予測不可能なことには、意識のあるほうが優れているという。
「私」というものは、皮膚の下の目の奥にあるという。思考を脳に、心を胸に描く人もいるが、動物にもこのような「私」という心があるかという本である。動物は、意識によって問題を考え、望む結果を達成するには何をすればよいか、行動を起こす前に頭の中でシュミレーションすることが出来る。この再現能力が生活力となっている。自分がまだ体験していないことを、他人の成功や失敗から学び取る、聞いたり、読んだりしたことをジェスチャーでシュミレーションする再現能力である。相手の痛みや気持ちを想像する心でもある。
経験則の例として、コンピュータがどこまで会話しシュミレーションできるかがあげられている。
エライザ(ELIZA)というごく初期のコンピュータ・プログラムから多く学べるという。このプログラムは、患者の話を聞いている心理分析者の行動を模倣するように設計されている。
会話が途切れそうなときに、「最初に心に浮かんだことを話してください」などともっともらしく切り替えし、そしてコンピュータがキーワードを選び、「あなたの○○について話してください」という台詞の空白にキーワードを入れていくと、まるで会話が成立しているように聞こえる。たった数行のプログラムで可能であるという。
『動物は世界をどう見るか』鈴木光太郎
動物達がどのように空間を知覚しているか。同じ人間同士なら、同じであろうという前提でコミュニケーションを行っている。人間でも動物でも、本当に自分と相手は同じように知覚していると証明はできない。
かつて、被験者に体験や記憶、知覚内容を書かせた、主観的な心理学から、心理学を化学的なものにしようと、ワトソンの行動主義という流れがアメリカで生じ、人間や動物を刺激に反応する機械のようにとらえた。心を研究するはずの心理学が、心をあつかわなくなって久しい。やがて、人間と動物との心理の比較という目的が薄れ、スキナーボックス以降、単独の種の学習というテーマが重要視されてきた。
ネコを使った実験に、縦じまだけ見せて育てた猫、横じまだけ見せて育てたネコ、ネコのメリーゴーランドという実験がある。
縞模様を見せたネコは、逆の向きの縞模様に相当する棒を避けることができず、電柱にぶつかったり、倒木をまたげずにつまづいたりするという。また、メリーゴーランドにつながれた2匹のネコのうち、能動的に自分から歩いてぐるぐる回るネコは、目の前の物体に前足をかけて伸びをすることが出来るが、乗り物に載せられてぐるぐるまわるだけの受動ネコは、目の前の物体に正確に足を伸ばすことができず、障害物をうまく回避することができなかった。これは、対象を注視するために目を動かし、そこに前足をもっていくという、視覚と運動の協応が考えられるという。
脳が見ている映像は、目が二つでありながら、一つの像であり、しかも立体的に見えている部分と片目の部分との間に境目がない。
脳が、網膜に写る像に対して、補正や補充を行っている。網膜像はあくまでも材料であって、それをもとに製品として加工された映像を知覚している。
網膜では動かない映像は知覚できない。網膜は小刻みに振動することにより、血管や視神経が写らない。
また、網膜に変形して映った画像も、脳で正しく補正される。
脳の知覚は、他の運動神経や感覚器官と連動できるように、小さな頃から訓練すべきである。
現在の絵本や図鑑の欠点を挙げる。どこからどこまでが一冊の本かわからないほど、天然色の図柄が一面にちりばめられ、何冊か本が机の上に積み重なっていると、ウォーリーを探せのような状態で、多くの視覚情報の中から目的の本を探し出せない。雑誌も叱りである。
一方で、子供向きの本に、パステルカラーや境界線が不明の本、内容が抽象的過ぎるもの、知育ながら、子どもの工夫や想像を奪い、作業が何らかの意図を強制させるものなど、こどもには遊び方が難しいものが多い。できれば、遠景のようなパステルカラーの背景に目的のクリアな天然色の物体を置く、その物体ははっきりとした形や境界を持っている。迷路なら迷路、クイズならクイズ、こどもが指でなぞるならなぞりやすく、文字を読むなら読むことに集中できるように、配置に工夫が必要である。
目の不自由な子ども達の絵本のように、色と共に質感が異なる、ひし形や長方形などの図形が正確である、あまりにコラージュや加工を施しすぎると、小学校以降の図形認識に苦労する。
今の子ども達にも、実験者効果、クレバーハンス効果があらわれることもある。教室の空気を読むあまり、教師の答えて欲しそうな事をうまく類推してしまう、「世渡り上手の」「社交術の高い」子ども達である。2択で質問すると、かなりの確率で正当のほうを言い当ててしまう。
子ども達が、知覚を正常に発達させ、物事をきちんとシュミレーションできるような、幼少時からの教育が必要である。
登録:
投稿 (Atom)