2011年7月27日水曜日

教育、医療、市町村のあり方について共有する大切さ

 教育、医療、市町村のあり方について共有する大切さ


小さい頃から、折に触れて、どんな学校が望ましいか、どんな病院が望ましいか、そして町はどうあるべきか、考え、意見を交わす習慣が望ましい。

医療ならば、多くの人が受診し、家族に付き添うことで一生係わることが多い。しかし、教育は、その年代の子どもを持たなければかかわることがない。また、高度成長期に、忙しさのあまり、係わりたくとも保護者としてほとんど係われなかった人々も多い。また、戦前教育を受けたまま、独身で過ごす人々、偏差値教育を受けたまま、独身で過ごす人々の多くは、今の学校がどんな状況で、どんな先生や子ども達がいて、どのような教育が望まれているか、考える機会や触れる機会が少ない。

しかし、子ども達はその「教育について考えたことも無い」人々により、地域社会で再教育を受けて学校に戻されている。

学校に地域や家庭の連体を叫ばれているのは、なにか共同事業を行うためだけではなく、家庭のおかれている状況とその役割、学校、および企業や共同体の現状が、共有されにくい現代において、今、学校はどういう意図でどのような教育が行われているか、発信しなければ、受け取り側が欲しい情報を得られない。戦後、偏差値教育やゆとり教育を経て、個性を伸ばす教育があげられているが、具体的にどんなことがなされているのか、戦前世代や偏差値世代、独身の人々にはなかなか理解が難しい。

病院も、医師の専門性は高まり、患者のニーズが多様化している。患者側は、医師がどのような意図でどのような治療をしようとしているのか、的確な質問がしにくい。というのも、その病気にかかるのは生まれて初めてで予備知識の無い場合、何を聴いていいのか、聴くべきことが見えてこないこと、他の患者や他の医師との比較をするほどの知識がないことなどがあげられる。
スーパーや病院によっては、利用者の要望を紙に書いてもらい、改善に役立てているところもある。そして、その要望書を掲示、皆で閲覧できるようにしているところもある。その利点は、同じように利用していると思っていながら、実は、こんなことを考えている人もいるのだということを、同じ利用者も考える機会を作ることである。こういったサービスは、こういう苦情によるものであるのか。自分が不要なことに対して、不信感を抱いていた利用者が、サービス提供側の意図を汲み取り、トラブル無く、要る、要らないの意思表示を行うことができる。このことは、教育にもありえることであろう。実は、過剰サービスにうんざりしている保護者も多い半面、本当に必要な情報やサービスがないと、不満や不審を抱いている場合が多い。その、発信の仕方によっては、互いの誤解を招くことも多々ある。

話を戻すが、学校や病院、地域のあり方というのを、いきなり大人に成って質問しても、その人が答えられる範囲は、極限られている。自分の知っている範囲で、しかも自分に係わる損得の部分でしか語ることができない。しかし、小さな頃から折に触れて、勉強するということ、治療をするということ、町並みやその整備、サービスについていろいろ考えておく、そして、友人や家族、いろいろな世代と意見を交わす経験があれば、一般論として、こうあるべきではないかという全体像が、おのおのにつかめてくる。どうあるべきか、意見を持った人が集まってこそ、集会を開いたときに前向きな意見がかわされる。

サッカーでたとえよう。テレビでサッカーが報道されなかった頃、小学校の体育で、あるいは地域のサッカースクールで子どもを集めても、サッカーらしい競技になるまでにかなりの練習が必要であった。しかし、今では、サッカー初心者の子どもでも、なんとなくサッカーらしい形になる。それは、小さい頃から家族でサッカーを観戦し、運動能力に係わらず、キーパーはこう動く、フォーメーションについての予備知識が蓄積されている。ポジションはどこがいいかと聞いたときに、鮮明なイメージ画像と自己を重ねることができる。今、教育や医療、地域のあり方について、こういった鮮明なイメージ画像を共有しにくい。
サッカーでさまざまな戦術があるように、教育にも、いろいろな戦い方があり、街のあり方も、さまざまな考え方がある。その細かいことはさておいて、何の目的で集まり、何を優先すべきかといった、おおまかなことを共有することは大切であろう。点を取ることが最優先にすべきか。入試直前ならば、どの学校にも望まれることであろう。多くの人がボールに触れることを優先すべきか。それは、優秀なプレーヤーであっても、基礎練習は欠かせないであろうし、レベルの低いプレーヤーならば、意図的に多くのボールに触れる機会を与える練習が必要であろう。こんな具合に、目的を共有し、それによって戦術を選ぶように学校や病院、町を選んで利用する。住む。そういう時代がきている。

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