2011年7月23日土曜日

『ローマ帝国衰亡史』ギボン著中野好夫訳

故インドの首相、ネルーも夢中になってこの本を獄中で読んだという。歴史家ばかりではなく、、政治家や外交官も、熟読、愛好している。アメリカの外交理論家ジョージケナン氏にいたっては、第二次世界大戦後の国際問題に直面したとき、問題処理の知恵をこの本よりしばしば得ていたという。

著者ギボンは1737年イギリス生まれで、オックスフォード大学を中退し、ローザンヌやパリ、ローマにてこの本を執筆したという。イギリスの下院議員であり、刊行の翌年にフランス革命が起こったことは、決して偶然ではないだろう。

ローマ帝国は、紀元前6世紀ごろから4世紀まで、さらに神聖ローマ帝国を含めれば、現在のウィーンのハプスブルグ家に至るまで、長きにわたって繁栄している。

中国の殷、エジプトやメソポタミアのアッシリアの繁栄の後、ギリシャやペルシャアケメネス朝に続いて、エジプトのプトレマイオス朝やインドマウリヤ朝と共に「共和制ローマ」が栄え、さらにインドクシャーナ朝や後漢のころ、「帝政ローマ」が続く。

ローマの成功は、現代社会のあり方に、教訓を残している。

ローマ帝政のよき時代の引継ぎでは、まるでバトンや襷リレーのように、速度を落とさず、同じ向きに併走しながら受け継いでいる美しさがある。前任の重用した人物をそのまま重んじ、安易に性急すぎる改革を行わず、的確な法律や政策を速やかにたてている。皇帝もまた学び続け、家臣の模範となる講義や実演を行い、耳の痛い忠言をする家臣や両親がいる。また、共に政治を行う仲間や後輩がいる。
現代日本の、あらゆる団体のあり方や引継ぎに参考になる。

①いくつかの軍紀、訓練を課し、国への忠誠の強化によって、誰が後継者になっても、強力な軍隊に規律が守られるようにした。つまり、軍隊に「絶対服従」を強いるのは、最強の軍隊が自制心を持ち、政府に逆らって暴走しないためである。
②強力な軍隊を動かし、権力を持つものは、むやみに国境線を侵してはならない。軍隊は平和の維持のため、隣国の平和を守り、紛争の仲裁のためにつかう。安易な領土拡大を戒めている。
③権力は、国民のためにこれを行使しなければならない。
④最強の軍隊や権力を持つものは高貴な徳を備え、自分に厳しく他人の罪に寛容な哲学を学ばねばならない。
⑤身内にふさわしいものがいなければ、世襲にこだわらず、有能な人材を養子にし、引継ぎを大切にする。


しかし、2つ注意点がある。当時の時代背景と現代との違い、中世の時代背景による色眼鏡の解釈の是正である。

ひとつは、中世のキリスト教の道徳からすれば、女帝や皇后の統治や、バイセクシュアルなどは、とても帝王学として許せるものではなかった。悪帝とよばれる人物の中には、単にキリスト教の道徳から外れている、あるいは直後のクーデター犯に汚名を着せられているに過ぎない人物もいる。

また、現代のような、「人類は遺伝的に平等」であり、「自国民のみが優秀民族である」、あるいは「奴隷や農奴を容認する」といった当時の人権感覚を、ローマ史より学んでは、時代に退行する。
また、現代兵器は、当時のような弓矢の時代では、もやはない。人類を皆殺しにするような強大な軍事力を持っている。国家間のトラブルは、ローマ時代のように武力ではなく、話し合いで解決しなければ、命がいくつあっても、地球が何個あっても足りない。
それらを差っぴいて読めば、かなり現代人にも通じる教訓を与えている。

西洋もまた、原始古代は、神イコール自然。可視物全てを礼拝の対象とするアニミズムの多神教であり、母系社会であり、古代日本と同様、政治をつかさどる「巫女」がいた。左脳の理性よりも右脳の感性を大切にする世界が存在した。そこに、ゲルマニアなど、騎士道を重んじる武士社会が生まれた。多産で貞淑な妻の意見を重んじ、質実剛健なイギリスやドイツの原型となる社会である。やがて、中央集権で皇帝を神とする一神教の国ができ、その一つが地中海を中心とする古代ローマ帝国であった。ラテンの女性はより美しくきらびやかに着飾り、政略結婚の対象となり、政治は男性の手にゆだねられた。

現代の議会政治や農業、手工業、科学など、さまざまな学問の基礎が、ローマ時代に築かれた。それはまた、平和を愛し、他国の人材や文化を登用してきたからである。エジプト、カルタゴ(フェニキア人、現アルジェリア国チュニジア国)、フェズ(マウレタニア、現モロッコ国)、フェニキア(現シリア)、パレスチナ、パルティア(現イラン国)、カッパドキア国、アシア、ゲルマニア(現ドイツ)、ガリア(現フランス)、ヒスパニア(現スペイン、ポルトガル)、ブリタニア(現イングランド)など、周辺民族のよき文化を取り入れている。

ギボンの本は、その時代に望まれるべくして生まれた。共和制や帝政の試行錯誤の時代であり、キリスト教中心の中世から、ギリシャローマに倣い、近代化をとげるときであった。そして、書物が民衆に普及し始めたときであった。

1215年イギリスのマグナカルタ(大憲章)以降、貴族が議会制を望むようになった。時代は、ロマネスク建築(半円アーチ)、ゴシック建築(尖塔アーチ)が好まれ、ローマ法の研究が進んでいた。
やがて、英仏の100年戦争、イギリスのばら戦争、イタリア戦争と、ヨーロッパで戦争が続いた。イタリアで、ギリシャローマ時代を再生する「ルネッサンス」が花開いた頃である。ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロら美術の巨匠が活躍し、ブルーノやケプラー、ガリレイといった科学者がヒューマニズム思想に押されて科学を発展させた。
絶対王政の権力象徴として、豪奢なバロック建築が風靡し、ドイツの三十年戦争、イギリスでクロムウェルらが共和制を樹立する「ピューリタン革命」にいたった。
科学は万有引力のニュートン、植物学で「種の分類」のリンネ、化学で断頭台に消えたラボワジエ、予防接種のジェンナーと近代科学を築き、三権分立を唱えたモンテスキューや国民主権を説いたルソー、商業よりも農業を重んじた経済学者ケネーが民衆を啓蒙していった。
フランスではナポレオンボナパルトが皇帝となり、オーストリアに神聖ローマ帝国を受け継ぐハプスブルグ家のマリアテレジアが女帝となった期間に、ギボンはヨーロッパにて執筆を始めている。まだ、ヨーロッパにキリスト教色が強く、しかも帝政がブームの時代に、反キリスト教思想をも一部盛り込んだ『ローマ帝国の滅亡』を書いているのである。

紀元前の共和制ローマがくずれた理由も、バブル前後の日本のようである。多くの外国人労働者の参入、安い外国の穀物の流入、そして、農民が離農し、無産市民化してゆく。成金の市民が財力から政治や会社運営に参加し、哲学を欠いた、自己中心の経営や政治を行っていく。哲学を学んだ皇帝が力を振るえば、たとえ独裁でも市民の生活が豊かになり、たとえ民主的な話し合いで政治を決めても、自己の利権を優先する政治家が集まっていては国民が苦しむ。飢饉の年には、属国ばかりではなく、ローマ市民でさえ、毎日2千人が餓死したという。

日本の1億人の中から、優秀なスポーツ選手を育てた方が、よき日本代表が形成されるように、1億人の中から出生や経済力に係わらず、政治家や大会社の幹部が育成されるべきである。しかし、それには、道徳、哲学を幼少から学ぶ義務教育の体制が不可欠である。自分に厳しく、他人の罪に寛容な五賢帝にこそ、現代人は学ぶことが多いのではないか。一個人がやれることは知れているが、多くの歴史を学ぶことで少ない経験を補うことができる。若者こそ、多くの歴史や哲学を学び、若くして実践できる機会を与えてやって欲しい。

また、西洋共通の歴史書を著したのギボンのように、東洋共通の歴史を描く歴史家が現れて欲しい。西アジアから東アジアまで、古代から近代に至るまで、西洋や東洋の文献をあたって、アジア人共通の歴史観を育てるような図書が望まれる。アジア史から見た日本史、アジア史から見たヨーロッパやアフリカを、未来の子ども達に学ばせてやってほしい。

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