『アシモフの科学者伝(原題Breakthroughs in Science by Isaac Asimov)』(木村 繁訳)を読み返す。
高校生以上の読者が、数学や物理学、化学などの歴史を振りかえるには、この科学者伝がお勧めである。
紀元前6世紀の三平方の定理のピタゴラス、紀元前5世紀の幾何学のユークリッド、紀元前3世紀当時の計算法で、アルキメデスは「球の体積が、それを包む最小の円柱の体積の三分の二になる」を発見した。彼らが使っていたのは、位取りのないギリシャ数字であり、新たにギリシャ文字を組み合わせて、累乗表記のような方法を考え出したという。2000年後のニュートンの微積分法は、現在と同じく計算のしやすいアラビア数字である。
(エジプト・バビロニアで生じ、アラビア・ペルシャで発展した数計算(代数)とギリシャで発展した幾何学、幾何学はデカルトらにより代数で表される解析幾何へと融合進化し、微積分法などの解析学が広がって行った数学史が、現在、日本の中学高校で学ぶ「数学」となっている)
ドイツのレントゲンは、真空管「陰極線管」で放電すると生じる線、「陰極線(電子線)」がボール紙やドアを通して化学物質を光らせる未知の線、「X線」という放射線の研究を行った。このX線がウラン塩から出ていることをベクレルが気づき、写真のフィルムと結晶をいっしょにしておくと感光することを発見し、体内をX線が透過することで骨が影として写る、ホラー映画さながらの気味の悪い写真、「レントゲン写真」が生まれた。
後にレントゲンが研究した、「高速の『電子線』が真空管の陽極をたたくとX線が発する原理」。そしてベクレルが研究した「ウランからは、三種類の放射線がでていること、そのうち透過力のもっとも強い放射線はガンマ線(γ線)であること」を、物理学者のトムソンが解明し、原子物理学の基礎を築いたという。
(のちにラザフォードにより、三種類の放射線のうち2つが、アルファ(プラスのヘリウム原子核)線、ベータ(マイナスの電子、陰極線よりも高速)線と名づけられ、3つめのガンマ線は、のちに結晶による回折実験によって電磁波であることが確かめられた。
ちなみにX線は①透過作用ばかりではなく、レントゲンの気づいた②蛍光作用、トムソンが解明した③電離作用、ベクレルが気づいた④写真作用、そして生物学者マラーの発見した⑤生物体に対する作用がある。
⑤の発見者であるマラーは、遺伝学でノーベル賞を受賞しており、「知能と社会的協調性に優れた男性の精子を冷凍保存して子供に恵まれない夫婦に人工授精を施す(後に『ノーベル精子バンク』へと発展)」運動を熱心に行った他、放射線によって突然変異が誘発されることを発見し、原子力エネルギーの普及に伴って、人類の遺伝的資質が将来弱体化することを深く憂慮していたという。
ウランが出す放射線の研究者、マリー・キューリーは、60代で白血病で死んでいる。)
ニュージーランド生まれでイギリスでトムソンの元で研究していたラザフォードが、(原子番号7番、質量14である)窒素原子にアルファ線(原子番号2番、質量4のヘリウム原子核)をあて、ベータ崩壊により(原子番号8番、質量17である)酸素原子に変える実験を1919年に行った。そして、1931年にアメリカのローレンスが、陽子を高速でぐるぐるとまわすサイクロトロンの研究を始め、1940年代には最初の原子炉の開発を研究した。また、大量の(天然のウランでは質量238のところ、235しかない珍しい放射性同位体)ウラン235と人工元素の(天然ウランからつくる質量239の放射性元素)プルトニウム239をつくる計画を進めたという。
アイザックアシモフは、この著書にて、「原子爆弾の形での核爆発は、人間にとって非常に危険なものとなりうるが、それは普通の爆発についても同様である。ふつうの火も危険なのだが、人類はそれを使って、はかり知れないほどの利益を得てきた。人類は、いま原子の火を制御できるようになったのだが、それを賢く使いこなすことができるだろうか。」と述べている。
1454年にドイツ人、ヨハネス・グーテンベルグが活字印刷を始め、イタリア、フランス、スイスに波及し、1476年にイギリスでも印刷所が始めて設立されてから、ヨーロッパの文化が世界を制するようになった。
ヨーロッパではそのときになってようやく、一般市民にも読み書きが必要だ、市民のための公教育、市民のための公立学校が必要だということに気がつく。それまでは、アジアの方が文化的に優勢であった。
ギリシャやローマの文献は、図書館のお陰で紀元前の知識が後世に伝えられてきた。エジプトのアレキサンドリア、トルコのコンスタンティノープル(イスタンブール)の文献が1204年に十字軍に荒らされ、1452年にトルコ軍に占領されて以降、地中海諸国の文化はイスラム圏で保存されていた。
木版印刷の世界最古は日本の770年に刷られた百万塔陀羅尼であるという。日本では庶民が読み書きそろばんを習い、その気になれば寺という大学に出家し、学問を修めることが出来た。
(手書きの聖書がイギリスで初めて英語で発行されたのが14世紀、活字印刷で英語で聖書が刷られたのは1526年という『英語の冒険』)
「印刷が世論、コモンセンス(常識)をつくりだした」という。
活字文化が衰退すると、文化が衰退する。森林が消え、水が枯渇すると文明が衰退する。電子文化一辺倒ではなく、もう一度、活字文化を温存する方向へ、検討できないものか。
過去の知識を大切にする文明が、反映し生き残ってきた。過去の知識は、図書館の文献であり、年長者である。年長者を大切にしてきたところに、古代文明が栄えている。
一人の個人で改良、発見できることは限られているのであり、新しい問題や災難も、過去の文献により、工夫して乗り越えていける。
また、狭く深い学問の追及のやり方を改められないであろうか。紀元前のギリシャやローマ、後の16世紀ルネッサンスのヨーロッパの科学者は、数学も医学も天文学も治めるばかりでなく、絵画や音楽などの芸術も学んでいた。革命的な発想は、狭く深い追求では生まれないことを表しているのではないか。現在の科学が煮詰まっているとすれば、遠くの一点または近くの一点を見つめる、望遠鏡または顕微鏡を覗くような視野の狭さではなかろうか。
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