『ペルセポリス”Persepolis” Marjane Satrapi』(園田恵子訳)を読み返す。
イランもタイや日本と同様、アジアの中では欧米の植民地地図の緩衝国として、独立を保ってきた。
イランはイギリスなど、石油資源に進出してきた国からの干渉を避けようとして、米英の反感を買い、石油輸出を妨害されるなどの経済封鎖を受け、1979年の革命より王制が廃止され、現在のイスラムシーア派が民族主義路線を継承しているという。
タイが、小乗仏教を広め、西暦でない佛歴で独自の文化発展を遂げてきたのと、日本が天皇制を続け、神道と大乗仏教などを明治以降軸に独自の文化発展を遂げてきたのと、同様であるが、イランの方がかなり早く西洋化を遂げていたのに対し、今ではタイや日本のほうが西洋化が進んでいるかのように報じられている。
当時から、オイルショックなど、石油はゆくゆく枯渇する、代替エネルギーの開発といいつつ、日本はそのまま自動車社会を加速させ、発電は原子力へと路線を変えていった。米英が必死になって石油の利権を守ろうとしたのは、30年後、40年後の石油価格の高騰を見越してであろう。油田があるというだけで、中東の方が欧米よりも発言力が増すことを恐れた。その頃の日本は、50年後、100年後の日本像をどう描き、努力してきたのだろうか。
アルプスの少女ハイジならぬ、イランの少女マルジと副題の付いた、「ペルセポリス」、主人公マルジは2011年現在41~42歳。10歳の時に革命を体験し、14歳でオーストリアのウィーンに留学する話である。というのも、彼女もまた、ウィーンと言うとハイジのような女性がいるような牧歌的なイメージを抱いていた、20世紀になって、これほど世界中にカメラが持ち込まれていても、写されているのはその国らしい意図された映像であり、取捨選択された古典的イメージなのか。
18歳のマルジが帰国して聞いた第3次中東戦争の話は、同級生が戦場に送られるなど、バブルに沸く日本と対照的である。しかし、彼女はマイケルジャクソンを聞き、欧米文化を愛する現代女性でもある。
改めてペルセポリスを読み返すと、あの、日本の1980年代の繁栄はなんであったのか。朝鮮半島を、ベトナムを、中東を踏み台にして稼いだ豊かさであったのか。あの頃の日本には、イランやタイからの多くの出稼ぎ労働者が来ていたはずだ。しかも、そこそこの学歴や経歴の人が、建設現場や歓楽街で、「肉体労働」に励んでいたはずである。
日本の大卒の若者が、中国やインド、タイやイランに出稼ぎに行く日がいづれ来るとすれば、日本の何が問題であったのだろう。
親日的なイランの人々が出迎えてくれた2003年のイラン旅行を思い出す。タイやイランに信頼され、尊敬されていた日本に戻るためには、地球全体の地下資源、農産物、漁獲物を公平にわかちあい、欧米ともアジア、ラテンアメリカ、アフリカ諸国と文化を尊重しあう関係を、あらためて歴史を振り返り、改めるべきところは改める必要があると思う。
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