2011年6月23日木曜日

脳は、どのように時間を感じるのか

脳は、どのように時間を感じるのか。
自由な発想で考えてみる。

細胞は、自分の時計を持っており、刻々と遺伝子が解かれ、その時期に応じた情報が活発に取り出されて細胞の生涯を終える。
分化により、寿命の長い細胞や、プログラム死を迎える細胞に分かれる。脳は、発達を終えると後は萎縮する一方であると言われている。
脳は、どのように人生を、時間を感じているのだろうか。

一般に、忙しいときほど早く時間が過ぎ、歳をとるほど時間が早く過ぎる気がすると言われている。これは、気のせいなのか?
忙しいと気がまぎれるのか?歳をとると、物忘れが激しく早く時間が経つ気がするのか?

脳の処理が、複雑な事項ほど多くのメモリーを消費し、ゆっくり作動する。
幼児期は慣れていないために、ゆっくり作動するが、複雑なことはまだできない。
全てのことを克明に記録し、有意義な時間を送っているはずである。

青年期、壮年期には、厖大な情報や作業を同時進行でこなしており、ひとつひとつの作業はパターン化され、あまり記憶されずに且つ、複雑なソフトが多くのメモリーを消費し、動作が重たく、よって時間を早く感じるのか。
歳をとるほど、簡単なこともかなり集中して行わなければならなくなる。やはり、複雑なソフトを起動したときのように、動作が重たく、よって、時間を早く感じるのか。

こう、考えると、脳の老化、細胞の老化は、たとえ一卵性双生児でも、違ったスピードで進み、寿命は異なるのかもしれない。時間はみな、同じ長さで流れていない可能性がある。酸素を多く消費すると、早く細胞は老化する。複雑な作業で動作の重たい脳細胞は、若いままであるのか?あるいは、筋肉のように、使うほど余裕が生じ、怠けると消耗が激しいために早く老化するのであろうか?

よく、「運動ばかりしていると脳まで筋肉で出来ている」というばかばかしいジョークを聞く。しかし、脳も使えば使うほど、栄養や酸素を蓄えているのかもしれない。脳のスタミナが切れると、神経痛になるのか?すぐに真っ白になったり、すぐに酸欠で視野が真っ黒になったりする。脳も、脊髄のように、使いすぎると神経痛を起こすはずである。夜になると、脳も疲れて緩慢となり、朝は記憶も優れている。
夜、眠っていると、記憶は、似た記憶はまとめられ、省略され、コンパクトに収納される。また、引き出しやすいように見出しやタグをつけられて、収納されていく。この作業も、やりすぎると脳は疲れる。夢を見すぎると、朝起きると脳が疲れていることがある。夢を見すぎると、夜、時間の経つのが遅く感じられる。
ということは、夢を見ない間には、神経細胞を休めたり、ストレッチなどのメンテナンスをしているのか?その間に電気の刺激がないために、時間があまり経っていないような気がするのか。そして、良く寝るほど、眠る時間が長いほど、脳細胞の寿命は長いのか?結果、長生きにつながるのか?

脳のことは、あまりに分かっていないことが多い。脳死の脳は何を考えるのだろう。本当に、夢を見ていない状態で寝ているのに近いのであろうか?それとも、悪夢を見た後のように、気分が悪く体がだるいのであろうか?
あるいは、脳が生きたまま、心臓が止まった身体は、何を感じているのだろう。彼らは、夢を見ているように、何かを感じ続けているのだろうか?家族の声を聴き続けているのだろうか。それはどのくらい続くのか。トンネルをくぐる気持ちであるのか、暗い穴に落ちる感覚であるのか、河を渡ったり、光の方に向かう感覚であろうか?
瀕死から蘇った人は、死にかけながらいろいろ考える余裕があったという。彼らの過ごす時間は、かなり長いに違いない。それは、脳が酸素と栄養を使い尽くし、血流が止まって保温機能の高い頭蓋骨中の高温が続く間中、活発に行われるに違いない。

寿命の来た人の脳は、酸素も栄養も少なく、速やかな停止を向かえることだろう。そして、若くして自ら寿命を縮めた人は、かなり長い停止までの時間を、苦痛と共に過ごすのだろう。死者の脳に、質問することが出来るなら、あえて知るべきであろうか、それとも知らないという幸せを選ぶべきであろうか?一生に一度の楽しみとして、苦しみとして。

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