集落単位での避難が進んでいると聞き、その効果に賛同する。
お互い声を掛け合ったり、炊き出しなど身の回りのことは、
被災者同士でも出来、そして、古くから付き合いのある人のほうが望ましい。
仮に、崩壊した家屋に戻るにしても、集落単位で戻れれば、
盗難の危険も減るだろう。
警察や救急隊が、捜索がてら警備してまわっている映像をみた。
金庫を集めて保管している映像もあった。日本の治安の良さにたいし、安心した。
また、体力のないお年寄りが、家具を動かしたり、貴重品を取り出すのを、
家族以外の人に手伝ってもらう映像を見た。
このように、いたわり協力し合う風景が、関東や東北の被災地全域だけでなく、
日本全国で普通に見られるような世の中になることを、心から願う。
そこで、被災者受け入れの話であるが、
各地に眠る、家具つきの高級マンション、やや安いウィークリーマンション、
そして、神社、寺院や教会などの宗教施設で、全国各地で地域単位で移動できないものだろうか。
仏教徒の人がキリスト教、あるいはその逆など、本来の信仰とかかわりのないところへ行くことに、
抵抗があるかもしれない。
しかし、異なる宗教に対する理解と言うのは、相手の生活を身近に知ることであり、
それは洗脳を受けると言うことではなく、お互いを尊重しあうと言うことである。
例えば、四国の多くの寺院とその周辺に、八十八箇所にちなんだ宿坊や民宿があり、
地域でバスツアーで受け入れるノウハウをもっているはず。
簡素で、自炊する設備をそなえているところもあるはず。
あるいは、古くからの湯治や温泉施設の周辺にもあるのではないか。
被災地周辺に、新しく仮設住宅を作ることが一番重要であるが、
何十万人の仮設住宅を、短期で作りきることは不可能である。
後でこわす施設に多額の金をかけるより、
その金ですでにある施設を利用できないのか。
この災害で、観光客が激減している、
あるいは、交通の便が良くなりすぎて、
出張で旅館や民宿、ウィークリーマンションの利用が減少しているからこそ、
すでにある施設を、無料または格安で提供できないものか。
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